韓国の反日活動はオリンピックだけではない
各界各層に浸透する反日主義

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政策提言委員・元公安調査庁金沢事務所長 藤谷昌敏

 近代五輪史上、初めてと言えるパンデミック下のオリンピックが東京で開かれた。参加選手は過去最大規模の約1万1,000人を超えた。日本側は厳しい行動制限の中だが、試合を終えたばかりの選手と来日できなかった家族をオンラインで結ぶなど、心温かい「おもてなし」を試みた。選手たちは、この状況の中、日本がオリンピックを開催してくれたことや選手村での食事などについて多くの感謝の言葉を残している。
 今回のオリンピックの意義は、パンデミックに打ち勝つ新しいオリンピック像を印象づけること、多様な人々が交流することで世界の分断を抑制することにある。また今回のオリンピックには、福島の復興という大きな意味合いもある。それほど、東京オリンピックを開催した意義は大きい。それにもかかわらず、韓国はオリンピックを政治利用することに懸命となり、五輪の精神を汚した。こうした理不尽な韓国の反日の動きは、オリンピックに限らず、考古学の世界や世界文化遺産など各界各層にまで及んでいる。
 
選手村に掲げられた「李舜臣横断幕」
 東京オリンピック開催前、東京五輪の選手村で韓国選手団が通称「李舜臣(イ・スンシン)横断幕」を掲げたことに対し、国際オリンピック委員会(IOC)は政治的宣伝を禁止した五輪憲章第50条に違反するとして、同横断幕を撤去させた。李舜臣将軍は、韓国では「反日英雄」と崇拝されており、朝鮮出兵した豊臣秀吉軍との交戦を前に「臣にはまだ12隻の船が残っております」との文を王に献上した。韓国選手団が掲げた横断幕はこれを真似て「臣にはまだ5千万国民の応援と支持が残っております」と記していた。これは、日本軍と明・朝鮮軍が激突した慶長の役の1597年、漆川梁海戦で朝鮮水軍がほとんど壊滅した際、李舜臣には、僅か12隻の軍船しか残っていなかったが、その後日本水軍に対し連戦連勝した故事による。
 大韓体育会はIOCによる横断幕撤去要請に対し、「横断幕は韓国代表団を応援しようという純粋な意図だ」とし、「競技会場でのいかなる旭日旗の使用にも反対する」と伝えた。韓国側は、横断幕の撤去に応じたが、それでも、横断幕の代わりに「虎の形をした朝鮮半島」の絵が描かれた垂れ幕を出した。これは朝鮮半島出兵時に秀吉が加藤清正に命じた「虎狩り」に関係するとの指摘もある。
 ここで言う「旭日旗」は古来から太陽および太陽光(旭光)を意匠化した旗であり、慶事などの際にめでたさ・景気の良さを強調するために用いられてきた。旭日旗は現在も朝日新聞社の社旗などに使われ、大漁旗、出産・節句の祝いなどにも掲げられる。韓国側が言うような政治的なものでも、軍国主義の象徴でもない。
 
隠蔽された朝鮮半島最大級の日本式古代慕
 朝鮮半島で最大級の古代墓の1つが、2020年1月についに開かれた。この遺跡は、全羅南道海南(ヘナム)の北日面方山里(プギルミョン・パンサンリ)の長鼓峰古墳だ。6世紀前半のものと推定される長鼓峰古墳は墳墓の長さが約82メートル、高さは約9メートルに達する。外見は日本でよく見られる前方後円墳だ。前方後円墳とは、円形の丘に方形の突出部が接続する形式で、上から見ると鍵穴形をなしている。3世紀から7世紀にかけて築造された日本の代表的な古墳だ。朝鮮半島では円墳が通常だが、日本と結びつきが強いとされる全羅南道の海岸一帯には前方後円墳が10基ほど存在している。
 この長鼓峰古墳は、新型コロナウイルスの防疫のための措置との理由で、その後再び埋め戻されたが、本当の理由は、九州の古墳と瓜二つの構造と日本式の鉄鎧の破片や鉄の矢じりなどの武器類が埋められていた事実が確認されたためで、日本側が主張する「任那日本府説」を立証する可能性が高いからだと言われている。本来、純粋に真理を探究すべき学問の世界にも民族主義が浸透していることには驚くばかりだ。
 
反日主義に利用された軍艦島
 2015年、国際記念物遺跡会議(イコモス)により、軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された。端島(はしま)は、長崎県長崎市(旧西彼杵郡高島町)にある島であり、通称軍艦島と呼ばれている。明治時代から昭和時代にかけて海底炭鉱によって栄え、日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅がある。1974年の閉山により無人島となったが、その後も世界的にも稀有な観光名所として有名だ。
 この軍艦島に対して、韓国側は、「朝鮮半島出身者が奴隷のように働かされていた」などと主張し、「軍艦島の真実」と言う15秒ほどの映像を制作して、これを2017年7月3日から9日まで、1日1,000回、ニューヨークのタイムズスクウェアの電光掲示板に広告として出した。映像には炭坑内で石炭を掘るやせ細った姿鉱夫の写真が使われたが、実際には、この写真は朝鮮人鉱夫でなく日本人鉱夫であり、場所も福岡県の筑豊炭鉱で、時期も大きく違っていた。また瘦せこけた男性数人が並んで立っている写真も使われたが、これもまた1926年の北海道の地方紙の記事に掲載された写真で、軍艦島とは何ら関係が無いことが分かった。軍艦島の問題は、今も韓国側が登録解除を求めており、解決する様子がない。
 
 こうした例だけではなく、日本と韓国の間の問題は枚挙にいとまがない。例えば竹島の帰属問題、日本海呼称問題、朝鮮から日本に流出した文化財返還問題、農産物などの知的財産権侵害、従軍慰安婦問題、徴用工訴訟、レーダー照射事件などがあり、いずれも容易に解決できる状況にはない。北東アジアの平和と安定には、日韓の緊密な協力が必須だが、反日主義はすべてを駄目にする。韓国側の冷静な対応と未来を見据えた外交を強く望みたい。