ビジョンが見えない『枝野ビジョン』

.

政策提言委員・元参議院議員 筆坂秀世

 立憲民主党の枝野幸男代表が今年5月に『枝野ビジョン 支え合う日本』(文春新書)を出版した。一読して感じたことは、言葉遊びが多過ぎて意味不明ということだ。次のような一文がある。
 〈2017年の衆院選で、私は「右でも左でもなく、前へ!」と訴えた。それ以前からも一貫して、自身の立場について「『保守』であり『リベラル』」だと説明してきた。これらの言葉は、強い共感の声をいただく一方で、「何を言っているのか分からない」との批判も少なからず受けた〉
 「右でも左でもなく、前へ」などというのは、自分の立ち位置が分からないと白状しているに等しい。左右と前ではカテゴリーが全く違っており、自分の立ち位置を不明確にするための逃げを打っているとしか思えないのだ。
 「『保守』であり『リベラル』」というのも、もっと説明が必要だ。この言い方だと枝野氏は「保守」と「リベラル」は違う、あるいは相容れないと考えているかのように思える。自由民主党は現在の綱領で自らを「保守」だと規定している。英語表記ではThe Liberal Democratic Partyとなる。自民党も保守であり、リベラルなのだ。そもそも保守とリベラルという言葉は、敵対するものではない。ここでも枝野氏が何を言いたいのか全く見えてこないのだ。
 もう一つ決定的に欠けているのは、政権奪取の方法論に全く言及がないということだ。都議選で少し前進したとは言え、立憲民主党が単独で政権を獲得出来ると思っている国民はいない。東京都議選が終わった直後、立憲民主党の安住淳国対委員長は、共産党との選挙協力について、「如実にその成果は出ているので、国政においても十分この結果というのは参考にしないといけない」と述べ、「リアルパワー」は連合東京ではなく共産党だとの見方を示した。率直な感想だろう。
 『枝野ビジョン』には、要旨、次のような一節がある。保守と革新について述べたものだが、枝野氏によると、「保守」思想の土台になっているのは、「人間は誰もが不完全なものだ」という謙虚な人間観である。従って、その人間が作り上げている社会も、常に不完全なものだ。「理想の社会」は、過去にも現在にも、未来にもあり得ない。これが「保守」の考え方である、と言う。他方、理性によって理想の社会像を作り上げ、その実現のために邁進するという革新的な考え方は、本来の「保守」から見れば、「人間の本性に反している」と言う。
 共産党に配慮したのだろう。後者の考え方を「革新的な考え方」と呼んでいるが、この理想社会を絶対視して目指す思想こそ、共産主義思想である。ここまで共産主義思想を批判するのであれば、共産党との共闘は絶対にない、と明言すべきである。だが共産党の力が欲しいが故に、それは言えないのだ。弱小野党第一党の党首の苦悩が滲み出ている。しかし、政治路線も政権獲得戦略も示せないようでは、ビジョン無き『枝野ビジョン』と批判されても仕方が無かろう。