アメリカ軍の撤退で中近東は別の姿になるだろう。バイデン大統領はアフガン政権の崩壊について「政治指導者らは諦めて国外逃亡し、アフガン政府軍は戦わずして崩壊した」と非難した。空港には逃げ遅れた米軍協力者数万人が置き去りにされた。惨敗が米軍の予想を上回るスピードだったことは間違いない。「アフガン政府軍が戦おうとしない戦争で、米兵が戦って死ぬべきではない」とも述べた。この基本的考え方を日本もしっかりと受け止めるべきだ。具体的にいえば、尖閣諸島は日本が守らなければ、米軍は助けには来ない、ということである。
中国は尖閣を自国領土と主張しているから、台湾を奪いにかかる時には、同時に尖閣も獲ろうとするのは当然だ。従って台湾有事は、同時に日本有事なのである。この軍事情勢は防衛関係の議員や官僚には常識だったが、野党や一般人は信じられなかった。言わば、信じたくないために知識が深まるのを恐れた。
戦後の日本人の出発点は「非武装中立論」である。何も武装しなければ誰も攻めてこないはずと思い込みたかった。しかし国際情勢は、日本の思い込みとは無関係に動いている。
半世紀も前、記者になりたての頃、日米安全保障条約が結ばれているから日本は大丈夫と思っていた。当時の米国は世界で同時に3つの大戦争を遂行できる程、強かった。しかしアメリカの弱体化と他国の軍事力の強化で、戦争は1つしかできない状況になったのだ。
その頃の官僚解釈では軍事条約を「結ぶ権利はあるが、行使はできない」。法制局がこういう解釈で、当時の社会党と自民党を妥協させたのだろう。国家の自衛権を認める前提に立てば、軍事同盟は結ぶ権利だけでなく行使され得るのが当然だ。安倍晋三前首相が強引に法制局に解釈を正させて「条約を結ぶ権利もあれば、行使もできる」ことになった。
それが平和安全法制であり、さらに特定秘密保護法、共謀罪の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法だ。いずれも逆風の中で成立させた。今、これらの法律がないと戦争はできない。本来なら憲法改正をして9条を改正するのが正直な政治というものだろう。私も戦争はイヤだ。しかし攻めてこられたら、気持を改めて戦う他ないだろう。
かつて社会党に石橋政嗣という委員長がいて「非武装中立論」という本を書いた。その時の記者会見で「攻めて来られたらどうする」と聞いたことがある。答えは「上手い負け方を考える」というものだった。米軍に占領され、憲法から教育基本法まで替えられたが、飢えは逃れた。中国やタリバンに占領されたらどうする。「上手い負け方」の見当がつかない。中国は自国民であるウイグル族でさえ虐待している。
中国の軍事化傾向は米国を上回る。日本は独力では対抗できないが、米国と組んでなら対抗できる。米国が日本を必要とするまで軍事力を積まねば、中国に踏み殺されかねない。
(令和3年8月25日付静岡新聞『論壇』より転載)