諺に「捨小就大」という名言がある。「より大きなものを獲るため、小さなものを捨てる」という処世術でもあり、外交協商術の基本ともなる。
今月15日、アフガニスタンの首都カブールがイスラム武装組織タリバンによって陥落した。結局、米国は「捨小就大」の選択をしたのだと言える。
翌16日には、米軍輸送機の胴体にしがみついてアフガンから脱出しようとする人々の姿がテレビで報道された。
46年前の1975年4月30日、南ベトナムの首都サイゴン(現、ホーチミン市)が陥落する時、離陸する旅客機の胴体にしがみついた人々の姿が思い浮かんだ。
中国の人民日報系『環球時報』編集者は中国版ツイッター「ウェイボー」に「昨日はサイゴン、今日はカブール、明日は台北」と書き込んだ。
しかし、アフガン駐留米軍撤退の背景には、アフガニスタンに中国を引き込んで封じ込め、制圧しようとする米国の戦略的な選択が隠れている。特に、中国の新疆ウイグル自治区のウイグル人は大多数がイスラム教徒であり、スンニ派が多い。アフガンも主にスンニ派の兄弟国である。
アフガンは19世紀末、英国が苦戦して撤退した歴史がある。1979年には旧ソ連が侵攻し、10年間の泥沼の戦いの末に撤退し、91年にソ連は崩壊した。そのためアフガンは「帝国の墓場」と呼ばれている。
米軍が75年にベトナムから撤退した後、統一ベトナムは米軍が残した武器をもって、79年、中国との戦争を繰り広げ、中国が敗退した。当時、中国がベトナムに敗北したのは、米国外交の勝利と評価された。今日、中国と対峙しているベトナムはアメリカと準同盟関係である。
30万のアフガン政府軍は抵抗もできず武装解除された。6万人に過ぎないタリバンは、全国をほぼ無血で制圧した。
米国は2001年の9・11テロ事件の後、テロ組織アルカイダを保護したタリバン政権を崩壊させた。その後20年間、1兆ドル以上を注ぎ込み、アフガンの政府予算に加え先端兵器まで支援した。
しかし、アフガン政府は米軍が支援した武器をタリバンに売った。アフガン陥落の根本的な原因は、腐敗した政府と自主国防意志の欠如にある。
今回のアフガン事態は、韓半島の安保に反面教師となっている。米韓同盟と日米同盟こそアジア太平洋の平和・安保を支える二本柱であることを再認識すべきだ。
*本稿は8月25日付「世界日報」に掲載したコラムを部分的に修正したものです。