武漢ウイルスの発生源なお不明
―バイデン政権の調査に批判も―

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顧問・麗澤大学特別教授 古森義久

 「新型コロナウイルスの発生源は中国が調査に協力しないから真相はわからない」―アメリカのバイデン大統領が政府各情報機関に徹底調査を命じたはずの結果はこんな粗末な総括だった。
 いま全世界を苦しめるこのコロナウイルスの発生が動物から人間への自然感染だったのか、それとも武漢ウイルス研究所からの流出だったのか、を調べる調査だったが、90日の期間の調査を経ても結論は出せないという、バイデン政権らしい曖昧なまとめだった。
 その結果、当のアメリカ情報機関関係者たちの一部から「中国との関係をこれ以上悪化させない政治計算に影響された近来にない粗雑な報告だ」という非難も起きている。このためアメリカ側全体としてのこの問題の追及はさらに先に延ばされることとなった。
 
 コロナウイルスの世界的な大感染は当初、中国政府が感染拡散自体を隠蔽し、その結果、防疫対策が大きく遅れをとったことは明白だった。アメリカではその結果、自国での感染の広がりの初期から中国政府の隠蔽への超党派の糾弾が広まった。
 この糾弾は中国の武漢でのこのウイルス発生の起源の追及をともなった。バイデン政権周辺では当初、中国側の「動物から人間に感染した」という主張を受け入れる傾向も強かった。
しかしこの動物感染説を証明するウイルスのサンプルがまったく発見されないことや、武漢市内の国立武漢ウイルス研究所で同種のコロナウイルスの培養や加工が実行されていたことから、同研究所からの流出だとする説が有力となった。
 バイデン大統領はこのため当初の姿勢を改め、2021年5月にコロナウイルスの発生源がどこかを徹底調査することを政府の情報機関に命令した。90日間という期限を切っての報告の指示だった。
 その結果の簡単な総括が8月27日に発表された。その調査にあたったのは国家情報会議(NIC)を中心に中央情報局(CIA)、国家安全保障局(NSA)、国防情報局(DIA)、連邦捜査局(FBI)、国家地理空間情報局(NGA)など合計約10の情報収集機関、つまりインテリジェンス(諜報)機関だとされた。
 これら諸機関の調査結果を国家情報会議がまとめて8月27日に発表した。ただし報告書の本体は秘密とされ、一般向けの公開報告はわずか2ページの短い内容だった。その公開報告の要旨は以下のようだった。
  • この調査に加わった情報機関全体としては動物からの自然感染説とウイルス研究所からの流出説の2つのありうる発生源について意見が分かれたままだった。

  • これら情報機関のうち4機関は動物からの自然発生だろうという見解に「低い信頼性」ながらも傾いた。

  • 他の1情報機関は研究所からの流出で人間への感染が起きたという見解に「かなりの信頼性」で定着した。

  • 3情報機関の分析者たちは自然感染、研究所流出いずれの見解にも今まで以上の情報がなければ、納得できない、という見解だった。

  • いずれにしても中国当局の協力がなければ、決定的な結論には達せられない。中国は国際的規模の調査を妨げ、情報の開示を拒み、他の諸国を非難している。

 以上が調査報告書の公開版の中核部分である。このとおりに読めば、要するに感染源はわからない、ということになる。2つの感染源が考えられるが、そのどちらだかはわからない、というわけだ。
だが重要な点はコロナウイルスが中国政府の国立武漢ウイルス研究所から流出したという米側での最近の有力な見解は否定はされなかったということである。
 同時に重要なのは、この調査が明確な答えを出せないのは中国側の妨害のためだと断じている点でもあった。
 同公開報告は半ば言い訳のように以下の骨子も述べていた。
  • ほとんどの情報機関はこのコロナウイルスが生物兵器として開発されたのではなく、遺伝子組替などの加工されたわけではない、という見解に「低い信頼性」で達したが、2機関はこの見解には十分な証拠がないと反対した。

  • 中国当局がこのコロナウイルスの武漢での感染拡大を事前に知っていたことを示す証拠は見当たらない。

 要するに中国側へのかなりの配慮を示しているのだ。アメリカ側ではそもそも研究所流出を主張する専門家たちの間でも、中国側がこのコロナウイルスを生物兵器として開発し、使用したなどと非難する声はない。流出説の中心は「ウイルスは研究所から誤って流出した」という主張なのだ。
まして中国当局がこのウイルスの中国国内、そして世界での大感染をその感染が始まる前から知っていたと主張する声も、そもそもアメリカ側にはなかったのである。
 だからこの報告書はなかったことを、あえて新発見であるかのように、なかったと認定しているのだ。
私もアメリカの政治や外交を長年、考察してきたが、インテリジェンス機関が相互に異なる見解を持っているという内情を公開したという実例は過去に記憶にない。CIAとNSAが1つの事件に異なった意見を抱いている、というような話は内部から流れる非公式情報ではあっても、政府の公式の発表では、まず見たことがなかった。
今回のバイデン政権の発表はこのように通常の事例とはまったく異なるのだった。
こうした点への批判はアメリカ政府周辺からも起きた。
 FBI長官補や国家テロ対策センター(NCTC)副長官を務めたケビン・ブロック氏はワシントンの政治雑誌に8月末、「バイデン政権のコロナウイルス発生源の粗末な調査は中国側を利するだけだ」と題する論文を発表し、今回の調査を批判した。
 その論文の骨子は以下のようだった。
  • この調査報告の概略はアメリカ情報機関同士の主張の矛盾や衝突に重点をおき、真実を徹底して解明しようとする姿勢に欠けている。調査の焦点に関して「結局はわれわれにはわからない」という消極的で曖昧な姿勢は中国側の立場をさらに有利にするだけだ。見解を述べるにも自分自身の意見に「低い信頼性」という条件をつける点にも及び腰が明白である。

  • このウイルスのために死んだアメリカ人60万という人数はアメリカのこれまでのすべての戦争での死者全体の半数、南北戦争の戦死者全体に匹敵する。その原因の追及に、「私たちにはわからない」という態度で済ませようとするのはバイデン政権の中国側への遠慮さえ感じさせる。

  • いまのアメリカではバイデン政権だけでなく中国との絆を実は大切にしようとする産業界、政界の傾向が強い。だからこの調査でも中国への徹底した責任追及の態度が感じられない。どんな人間でも組織でも罪を問われ、無実であれば、その判定の調査は歓迎するだろう。だが中国は徹底して調査を拒む。この点だけでもアメリカのもっと厳しい姿勢が必要である。

 こんな厳しい批判が今回の調査報告に対してぶつけられるのだ。コロナウイルスの発生源を追及する議論はアメリカの国政の場ではまだまだ続くそうなのである。