「窮地に立つ米国の民主主義政策」
―中東には中東の政治体制を―

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会長・政治評論家 屋山太郎

 アフガニスタンに生まれるタリバン新政権は、どのような政権になるだろうか。1979年のイラン・ホメイニ革命をたまたま取材した経験から考えると、アフガンには極端で厳格なイスラム国家が誕生するのではないか。
 ホメイニ師は、国内のシーア派をけしかけてシャー国王を追放した後、パリの側近連中を引き連れてテヘランに凱旋帰国した。当時の首相はホメイニ師が任命したバザルガン氏で、ホメイニ師側近は「憲法ができるまでバザルガン氏でよい」と述べていた。国内にはイスラムの厳格化を求める僧侶と、シャー時代の西洋化を喜ぶ人達が混在していた。しかしホメイニ師の「革命防衛隊」と名乗る過激派が日に日にのさばるようになり、憲法素案の内容もどんどん過激になっていった。勿論、憲法にはイスラム法を守る趣旨が貫かれ、最高の価値は常にイスラムにあるとされた。憲法が出来た時、「この国はもう永久に政権交代ができないな」と慨嘆したものである。
 アフガンに出来上がる新政権も、恐らくホメイニ政権と同じようなものだろう。ホメイニ師は「革命を一緒にやろう」とパリから連れてきた学者や側近を追放したり、殺害したりした。現在のイランでは、民主派が立候補すると、政府寄りのイスラム法学者らが立候補者の資格を取り消すことができる。
 タリバンが勝った当日、タリバン高官が「早期に政府を作る」と明言した。また「女性の地位はどうなるのか」との質問に対して同高官は「イスラム法に従って処遇される」と述べた。この意味は、米国が樹立したアフガン政権のような、女性への自動車免許の交付や一人歩きは許さない、という意味だ。新政権の発足が約束の「48時間」以内に行われないのは、タリバンが国内の“民主派”を潰して歩いているからではないか。
 中東取材を通じて特に気が付いたのは、彼らには「国家意識は薄く、部族意識しかない」ということだ。イランはシーア派が大勢だったが、南の方にスンニ派が居り、彼らはイラクのサダム・フセインに親近感を持っていた。この地域では英国が3百年も前に、宗派を無視して植民地にし、国境を決めた。従ってどの国も内紛が絶えないのである。
 米国は、無理合わせの部族合併国家を、西欧の民主主義国家に仕立て上げようとしてテロを受けたり、仇討(あだう)ちに20年間も費やした。米国は日本を民主化したのは自国の力量、と思っているようだ。だからこそ他国も西欧民主主義国家にして「改革」しようとしてきた。しかし日本は7世紀の頃から十七条憲法を擁して「和を以て貴しとなす」と説き、明治維新の1868年には「五箇条の御誓文」で「広く会議を興し、万機公論に決すべし」と民主主義の神髄を述べている。米国は中国をも民主主義化しようとして、何もかも分け与えれば自由化すると錯覚し、自ら窮地に立っている。米欧は、中東には中東が好む政治体制を作らせるという発想の転換が必要ではないか。
(令和3年9月8日付静岡新聞『論壇』より転載)