立憲民主党が秋の衆院選敗北を総括する文書を発表した。共産党との選挙協力に関し、夏の参院選では「全体的な戦略の見直しを図る」と相変わらず曖昧なままだ。
立憲民主党の病気は党内に常時、右と左の勢力を抱え、選挙の度に共産党と組む「ピンク」派とそれに反対する「シロ」派が対立することだ。実は日本の政治史の裏側は常にアカ、ピンク、シロの対立だったと言っていい。終戦直後の政界では、濃いピンクの社会党左派と共産党のアカが一体となり、「社共共闘」を掲げて政権に対峙した。一方、右派社会党はシロ色だったが、特に強い売り物がない。55年に社会党の左右統一が行われ、これに対抗して保守系政党は保守合同を行う。これがいわゆる55年体制だが、以来、社会党の中に閉じ込められたシロ色の右派は怒って脱党し、民主社会党を結党する。社会党は共産党と同じく強烈な反米方針だったが、新しくできた民社党は自民党よりも反共、親米だった。
共産党は中国、ソ連を背景に誕生した政党だから、外交方針は強い反米である。その共産党に強い影響を受けたピンク系が反米になるのは必然である。中国と米国の間に挟まれた鳩山・菅内閣が支離滅裂な政治を展開した。これはアカ、ピンク、シロ合体の政治方針のためだろう。米国や日本のシロ色政党には、嫌がらせにしか映らなかった。
野党の再編があり、立憲民主党にはピンクとシロの人達が集まった。野党第一党だから参院選で指導力を発揮せねばならない。こう言われると立憲は、再びアカとの連合を考える性癖がある。次期参院選では32の一人区があり、ここで大野党連合ができれば、全部勝つ可能性がある。その大野党連合を結集するに当たり、党内のシロ派執行部は、共産党とはもう組まないことを仄めかした。ところがピンク派が反発して、このピンク・シロ論争は持ち越しに。この党内論争は常に問題にされるが、永久に結論が出ないだろう。今回、シロ派だった国民民主党は、再び大連合を拒否し、同じシロ系統の維新と連合する道を選ぶようだ。
野党第一党が常にピンク問題を抱えるのはなぜか。ずばり共産党の存在がある。選挙制度審議会でどのような制度なら政権交代が起こるかを追究した結果、小選挙区比例代表並立制に行き着いた。この制度下の初の選挙は1996年だったが、以来、二大政党による交代劇など、理想的な形での交代は行われていない。その理由は旧社会党であれ、立憲民主党であれ、野党第一党の社会主義政党が共産主義を排除できないからだ。どうしてもピンクに染まってしまい、他党のシロ派が逃げて行ってしまう。
米、西ドイツなど50ヵ国は、自由や民主主義を否定するような自由、権利は認めないという考えだ。日本共産党が「暴力革命」を完全否定しないのは、民主主義を壊す危険を有するということなのか。
(令和4年2月2日付静岡新聞『論壇』より転載)