日本の核武装による抑止は核超大国のソ連に対しても可能だった――こんな結論の研究報告がアメリカの専門家によって1980年代に作成されていた。この結論からすれば、いまの日本が核の報復能力の保持によって中国や北朝鮮の核の脅威を抑止することも十分に可能となる。だからこのアメリカでの研究内容はいまの日本の国家安全保障にとっても重要である。
核抑止力が国際紛争でも、各主権国家の防衛でも、無視のできない重要な要因であることは、最近の日本を囲む実態をみても明らかだといえる。そんな現状を考慮すれば、同盟国のアメリカ側で作られていた日本のこの核武装計画のシナリオはなおさら意味が大きくなる。
安倍晋三元首相がこの2022年2月末、日本がアメリカの核兵器の共同管理(シェアリング)を考えることを提案して、波紋を呼んだ。加藤良三元駐アメリカ大使も2月下旬、日本独自の核抑止力の保持について議論を始めることを提案した。
いずれも日本が中国や北朝鮮の核の脅威にさらされていることへの反応だといえよう。中国も北朝鮮も実際に日本に対して核攻撃をかけうるという核威嚇の言動をみせているからだ。
そのうえにロシアのプーチン大統領はウクライナへの軍事侵攻で核兵器の準備を指示した。非核の他国に侵略して、そのうえに核使用の威嚇という無法のうえにも無法な動きである。ロシアの通常戦力でのウクライナ攻撃がうまく進んでいないことの表われだろう。国際紛争でも核兵器は不使用のままでも大きな役割を果たす例証でもある。
日本は周知のように他国からの核兵器での攻撃や威嚇に対しては同盟国のアメリカの核抑止力に依存している。アメリカからすれば同盟国への拡大核抑止という戦略である。だがその一方に日本には非核三原則も存在する。
では日本が独立国家として自立した核抑止力を求めた場合はどうなのか。そもそも日本の核武装は可能なのか。その場合にアメリカはどう反応するのか。こうした諸点を少なくとも考え、論じる時期がきたのではないか。
この点でアメリカ側ではもう40年も前から日本の核武装の可能性を現実的に研究した論文が存在することは日本ではほとんど知られていない。アメリカとソ連との軍事がらみの対立が険しかった1980年代に米軍の専門家が日本の核武装について精緻な研究論文を作成していたのだ。尚更
その内容は十二分に今日性を有する。だからその内容をいま知っておくことは大きな意義がある。現在の日本の核論議への有力な指針となるからだ。
この論文は1980年ごろにアメリカ空軍のジョン・エンディコット大佐によって書かれ、「日本の核オプション(選択肢)」と題されていた。エンディコット氏は日本駐留のアメリカ空軍司令部勤務の後、国防総省の国際関係の要職を経て、当時は国防大学副学長だった。安全保障研究での博士号を有する専門家だった。
私がこの論文の存在を知ったのは正確には1981年だった。この年、私は毎日新聞のワシントン駐在特派員からアメリカ側の大手研究機関「カーネギー国際平和財団」の上級研究員へと転身した。一年余り、日米防衛関係についての研究や論文発表をすることになっていた。
その研究活動の過程でエンディコット大佐の論文を知ったのである。もっともエンディコット氏にはその以前から知己を得て、取材だけでなく、個人的な交流もあった。ただし彼はその当時も自分が書いたこの論文について自ら積極的に語ることはほとんどなかった。日本の核武装というテーマ自体が当時、きわめて政治的に過敏な反応を招くことが、その理由の一つだったのだろう。
私は当時、この論文の「日本は一定の道を進めば、ソ連の強大な核戦力をも抑止できる核武装がコストも少ないままに実現できる」という結論に衝撃を受けた。だからその論文の概略を日本の一部の雑誌に紹介した。当時の私はカーネギー財団の研究所の所属で、本来の帰属組織の毎日新聞のような主要メディアのための報道活動はできないことになっていた。
そのうえに当時の日本では日本の核武装というのは言葉だけでもタブー中のタブーだった。そんな言葉を口にしただけでも犯罪者扱いされる硬直した空気があったのだ。
だからこそ、そんな呪縛や禁忌が解けたいま、日本の国家安全保障という視点からこの核の選択について、アメリカ側のきわめて現実的なアプローチを改めて日本側に広く知らせることに意義があると感じるわけである。
さてエンディコット論文は日本にどのような核武装の選択肢があるというのか。
同論文はアメリカの日本への「核の傘」がなくなった場合を想定していた。そしてソ連が日本に核の恫喝をしかけてきた場合を想定していた。現実に当時のソ連は中曽根康弘首相の不沈空母発言に対して「そんな不沈空母などという構想を進めれば、日本は報復的核攻撃の標的となるだけだ」などと言明していたのだ。明白な核の脅しだった。
この論文はその場合に日本はどうするのか、という設問から議論を進めていた。
ソ連が日本に安全保障上の重大な要求を突きつけ、日本がもしそれに従わず、ソ連がでは核攻撃をかけるぞと、脅した場合、日本はどうするのか。守ってくれるアメリカはもういないのだ。
エンディコット論文は日本はそんな場合、ソ連に対して全面降伏して、すべての要求に応じてしまうという選択肢がある、と指摘していた。だが日本がソ連に降伏はできないとなると、残された道は日本が独自の核抑止力を持って、ソ連の核の脅しを無効にするしかない、と断じていた。
同論文はそのうえで日本にとってソ連の核の攻撃や脅迫を抑止できる方策について以下のように述べていた。
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ソ連は日本を屈服させるために核攻撃能力を使うのであれば、日本もソ連に対する核攻撃の報復能力を持てば、ソ連の脅しを無効にできる。日本はそのためには最終的にソ連側の枢要部の人口の25%ほどを破壊できる核戦力を保持すればよい。ソ連はその被害を許容できないから、日本への実際の核攻撃はできなくなるわけだ。
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日本がソ連にそれだけの損害を与える戦略核戦力の保持としては大陸間弾道ミサイル(ICBM)、戦略爆撃機、戦略ミサイル搭載潜水艦(SLBM)の3方法があるが、実効を持つのは潜水艦となる。日本の地形を考えると、弾道ミサイルや戦略爆撃機は敵側からの核の先制攻撃に弱く、日本側の核戦力、核抑止力の主要部分が第一撃で壊滅させられる危険性が高い。
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ソ連を破壊する核弾頭としては広島へ投下された原爆の約50倍の破壊力を有する1メガトンの保有を目的とし、その破壊度をPSI(1平方インチ当たり1ポンドの瞬間重圧)の3とする。3PSIでは標的地の人口の37%、軍事、産業施設の大半が破壊されるため、ソ連側は許容はできない。
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日本の核武装はイギリスやフランスのように中級核保有国の例に従い、ソ連やアメリカにくらべてずっと少ない弾頭数で、最終の報復能力の保持を目的とする。その発射手段も潜水艦に全面依存する。核先制攻撃の戦略は最初から除外する。このため日本の核弾頭も最大限160個程度を目標とする。
以上のように「日本の核オプション」論文は日本の対ソ核武装の基本概念や戦略目標を具体的に述べていた。この論文の登場時の1980年といえば、ソ連のアフガニスタン侵攻の直後で米ソ対立が危険の極にあった。日本へのソ連の脅威も現実だった。
この論文はソ連が日本への先制核攻撃をかけることも想定していた。日本の核抑止力とはその攻撃に耐え、ソ連に許容できない破壊をもたらす核報復能力を残して、なおかつ報復攻撃を遂行することを究極の目標としたわけである。
同論文のその日本の核戦略についての最重要部分の構想を以下の骨子のように述べていた。
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日本の核抑止力は最終的にソ連のモスクワ、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)など主要25都市に3PSI以上の破壊をもたらす能力を保有することを目指す。
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日本はそのためにアメリカ海軍のポラリス型級の核ミサイル搭載原子力潜水艦(SLBM)10隻を保有する。1隻に射程4600キロ以上の核弾頭ミサイル各16基を装備して、そのうち4隻から6隻を常時、アラビア海周辺に配備する。
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同潜水艦配備の海域としては日本海、ベンガル湾、アラビア海、ポルトガル沖、ノルウェー海などが候補となるが、ソ連中枢部への距離や日本側司令部との連絡、潜水艦配備の交替システムなどを考えれば、アラビア海が最適となる。
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アラビア海に展開した日本潜水艦はソ連のモスクワなど25の主要都市に核ミサイル最大96発を発射できる。ソ連側の迎撃ミサイルの機能を考慮しても、その結果、ソ連側に許容できない被害を与えうる。
同論文は以上のように日本がソ連の核の攻撃や恫喝を抑えるための防御的な核武装は可能だと総括していた。
しかし日本は1970年代から核拡散防止条約(NPT)条約に加盟し、核武装はしないことを誓約している。しかも日本には年来の非核三原則が存在する。
だがエンディコット論文は日本が自国の存亡の危険に直面した場合にはこの種の規制を排除して核抑止保持へと前進できる、と述べていた。そのためには日本独自による核弾頭の製造、ミサイル能力の保持、潜水艦の保有という技術的な難関があるのだが、この点の前進も同論文は「日本のいまの技術水準をもってすれば数年間で可能になる」と明言していた。
ただしエンディコット大佐自身はその時点での日本核武装には反対だと付記していた。日本はアメリカの拡大核抑止への依存を続けることが好ましい、という意見だった。
しかし40年後のいまこの想定を中国や北朝鮮への核抑止に適用すると、興味深いシナリオが浮かびあがる。
中国や北朝鮮が核兵器を陰に陽に武器として使い、日本を脅迫しても、いざ日本側がその脅威を抑えるために独自の核武装への前進を決めれば、この「戦略核ミサイル搭載の潜水艦配備」により日本海、東シナ海、南シナ海などの海域に北京や平壌を直撃して、徹底破壊できる核報復能力を十二分に保持できる、という想定である。となれば中国や北朝鮮の日本への核の恫喝は効かなくなる。
しかしその一方、アメリカが日本の同盟国として1980年代という早い時期から日本の独自の核武装についてここまで研究していたということも驚嘆させられる。