ロシアの一方的侵略に対してウクライナは決死の覚悟で反撃している。両国の国力を比べれば、ウクライナに勝算はないと見られていた。2・3日で片付けるつもりのプーチン大統領だったが、1ヵ月経った今も勝てない。ウクライナの底力は、ゼレンスキー大統領以下国民が、国を守る決意で一心になっているからだろう。その必死さに露中を除く殆どの世界が感嘆し、応援している。それにしてもロシア軍の砲撃で死んでいく人たちの惨状はむご過ぎる。何とか早く話し合いをつけろ、というのが全世界の願いだろう。
悲劇を見たくないという心理は当たり前だが、問題の解決策として「ウクライナが即時、降伏せよ」という意見があるのにはびっくりした。それも兼ねがね、その見識に感服している橋下徹氏(評論家・元大阪府知事)が言ったからがっかりである。殺されないために「すぐに降伏しろ」という主張をするのは、世界広しと言えども、日本だけではないか。戦いにおいて死は避けられない。負けている側が「生きるよりも死んだ方がマシだ」と思えば戦いを選ぶ。「どんなに恥をかいても生きていた方が良い」「命あっての物種」と橋下氏は考えるのだろうが、日本人にはこういう楽観的な軽い考え方がある。
ウクライナは負ければ、国家が消えてなくなるだろう。子孫は「昔のウクライナの生き残りです」とでも答えるしかない。中東周辺には、民族名は残っているものの、国家を持たないクルドなどの民族がいくつかある。
橋下発言で頭に閃いたのは、80年に社会党の石橋政嗣氏(後に党委員長)が書いた「非武装中立論」である。中身は文字通り非武装中立だから説明は簡単。外交も「どこの国とも仲良くしろ」だから単純明快である。この粗末な書物が30万部も売れたことは、国民の防衛意識が無さすぎることの証左でもある。この本がバカ売れしたのを見ながら、憲法改正ができるのは「まだ先の先だ」と嘆息したものだ。
当の石橋氏に直接聞いたことがある。「いきなりソ連や中国が攻め込んできたら、大虐殺が起こるでしょう。ソ連は60万人の捕虜をシベリアに連行し、その1割を死なせた。中国は義和団の騒乱で、居留していた民間人を虐殺した。どうするんです、彼等が日本列島にやってきたら?」石橋氏の答えは「上手い負け方をすることだ」ということだった。米軍の日本占領は、確かに戦った相手を上手く制御したと言えるかもしれないが、こういう“文明的な占領”は、世界史に例がない。
中国がチベット、ウイグル、南モンゴルで行っていることは民族の抹殺であり、かつてソ連が少数民族に対してやっていたことも然りである。橋下・石橋両氏に象徴されるように、左右両翼とも血を見たくないから「自由と民主主義も民族独立をも考えなくていい」という心情が居座っている。この心情こそが憲法改正を妨げているのではないか。
(令和4年4月6日付静岡新聞『論壇』より転載)