ロシア・スパイ帝国の終焉かー連邦保安庁FSBの凋落

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政策提言委員・経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員 藤谷昌敏

 かつて旧ソ連時代、ソ連国家保安委員会KGBは、ソ連共産党と一体化し、国家そのものとも言って良いほどの権勢を誇った。中国やその他の共産圏諸国の情報部を指導・支援し、一大情報帝国を築いた。西側諸国、特に米英との秘密戦は熾烈を極め、KGBは米国の原爆開発計画(マンハッタン計画)を盗用したローゼンバーグ事件を引き起こし、マグニフィセントファイブと言われる工作員たちを英国情報部の最高幹部クラスにまで浸透させることに成功した。彼らがもたらした重大な機密情報がどれほどソ連に貢献したかは言うまでもない。ソ連を米国と並び称されるほどの大帝国に育て上げ、冷戦の主役としたのはKGBだと言っても過言ではない。
 これほどの功績を残してきたKGBの後継機関であるロシア連邦保安庁FSB が、今回のウクライナ侵攻以降、次々と不祥事を起こしている実態を見れば、その体たらくぶりには驚くばかりだ。
 今月に入り、とうとうプーチンはロシア連邦保安庁FSBの情報部員150名を追放した。英紙TIMESは「追放されたのは、プーチン大統領がFSB長官在任中に設立された「第5局」の職員。ウクライナなど旧ソ連の構成国をロシアの勢力圏にとどめる役割を担う。侵攻の失敗に対するプーチン大統領の怒りの表れで、スターリン的な大粛清だ」と報じている。追放されたFSB職員らは、大部分が解雇され、幹部クラスの一部は逮捕されたようだ。
 ロシア・メディア「メデューサ」によれば、先月、「第5局」の局長セルゲイ・ベセダ准将と副司令官アナトリー・ボリュク(運用情報部門責任者)らが不正確な情報を報告した疑いで自宅軟禁され、刑務所に送られた。「第5局」は、侵略に先立ってウクライナの政治・社会・経済情報をプーチンに直接、報告する義務があった。だが、ベセダは、プーチンのご機嫌を損ねることを恐れて、「ウクライナは弱く、ネオナチでいっぱいであり、攻撃された場合は簡単にあきらめるだろう」など、ウクライナ侵略に都合の良い情報を報告していた。ベセダがFSBの特殊部隊を率いてウクライナで活動していた経緯から、プーチンはベセダらの情報にかなりの信頼を置いていたとみられる。ベセダらは、破壊活動や工作資金に割り当てられた資金の不正使用や不十分で不正確な情報を故意で提供した容疑を掛けられているという。
 
FSB「第5局」とは
 FSBは、KGBの対外諜報活動を担当していた第1総局がロシア対外情報庁SVRとして分割されたのを機に、防諜活動を主とする組織として独立した。プーチンが1998年から約1年間FSBの長官に任命された際、FSBの権限拡大に力を入れ、海外でも諜報活動を実施できるように新たな担当局を設置した。それがFSBの「第5局」であり、正式には「運用情報・国際関係局」(the Operational Information and International Relations Service)と呼ばれている。だが、実際にはプーチンのFSB長官就任前から特別チームが編成されており、旧ソ連領における諜報活動は行われていた。それをプーチンが事後的に認めたに過ぎない。
 「第5局」の目立った活動といえば、ベラルーシ、モルドバなどにおける地方選挙で親露派の候補者を支援する活動を行っていたことぐらいだが、ウクライナは特別な諜報対象と位置付けられており、ウクライナ政府・軍・情報機関などへの浸透工作や欺瞞工作を積極的に行っていた。その欺瞞工作の例としては、ウクライナとトルクメニスタンの離間を図るために「ウクライナの情報機関がトルクメニスタンの反体制派に秘密裏に資金を提供していた」とする偽造文書を公表したことなどがある。
 ウクライナ侵攻後、FSB内部からと思われる情報漏えい事件が相次いでおり、FSBには様々な問題と混乱が生じているとみられる。
 
FSB内部から告発の手紙が漏えい
 今回のウクライナ侵攻の前、FSB内には侵攻に懐疑的な見方があったとみられ、FSBの内部告発情報も暴露された。その告発情報の真偽は未だ定かではないが、真正だとすれば、FSB内部の不満を裏付けた重要な情報といえる。一部を抜粋すれば、
 「最近、私たちは徐々に指導部の求めに合わせた報告をするよう圧力を受けていた。政治顧問やら政治家やら、その取り巻きたち、影響力のある連中がひどい混乱を作り出していた。一番重要なことは、誰もこんな戦争が起きると知らなかったことだ」
 「我々は最初は、ウクライナ国内でゼレンスキーに対する反対行動を準備していた。直接侵攻することは考えていなかった。 これからは市民の損害は幾何級数的に増えるだろう。我々に対する抵抗戦も強まる一方だろう」
 「ロシアには出口がない。勝利の可能性がないのだ。敗北は大いにありうる。弱い日本に蹴りを一発入れて、早々に勝利してしまおうとしたが、戦争を始めてみると軍は負け戦を続けた前世紀初頭とまったく同じことが繰り返されてしまった(日露戦争のこと)」(テレ朝ニュースより)
 この手紙で分かることは、ウクライナ侵攻が突発的に決まったこと、数日でウクライナを降伏させるつもりだったこと、経済制裁によりいずれロシアは破綻するであろうことなどだ。
 
FSB工作員の人物情報が暴露
 ウクライナ軍情報部は3月28日、FSB工作員のリストを公表した。そのリストでは、各人の生年月日や出生地、FSBでの経歴、住所や電話番号、Eメールアドレス、旅券番号や所有車のナンバー、人物評価まで記載されている。これだけの詳細な情報があれば、外国の政府、企業、軍、情報機関などに潜り込んでいるスパイを摘発することは容易なことだろう。このリストの漏えいはウクライナ軍情報部のハッキングによるものと考えられているが、情報機関にとって、工作員のリストは秘中の秘であり、外部からのアクセス不可能なPCに保管されるなど、ハッキング対策は万全だったのではないだろうか。やはり、FSB内部の協力者による情報漏えいではないかと推測される。
 
 このようにFSB内で、あってはならない不祥事が続いていることを考えると、ウクライナへの電撃侵攻が失敗したことで、FSB内では、戦争の末路がロシアの破綻となりかねないとする危機感が強く生じているのではないだろうか。プーチンと側近たちの戦争計画の失敗をすべてFSBに押し付けられている現状を考えれば、FSBを中心としてプーチン打倒を訴える勢力が出てきてもおかしくはない。