ロシアのウクライナ侵略もあってのことだろう。共産党の志位和夫委員長が、唐突に「急迫不正の主権侵害に際しては自衛隊を活用する」と語ったことが波紋を広げている。共産党は、自衛隊を憲法第9条に違反する軍隊と位置付けてきた。だからこそ現在の綱領でも、まずは自衛隊の縮小、いずれは自衛隊を解消させるという方針を打ち出している。
憲法違反の自衛隊と言いながら、いざとなったら活用するというのは、あまりにも手前勝手だという批判がなされるのも当然なのである。
この問題では、共産党は迷走を繰り返してきた歴史がある。現在の共産党員の多くは憲法も、9条も大好きである。だがこの憲法が制定されたとき、唯一政党として反対したのが共産党だった。反対の大きな理由は2つあり、1つは天皇条項、もう1つが9条であった。9条について、当時の吉田茂首相は、自衛権をも否定するかのような議論をしていた。そのため「(9条は)一個の空文にすぎない。自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある」(衆議院本会議での野坂参三議員の反対討論)と非難してきたのだ。
元々、共産党の安全保障論は「中立・自衛」政策であった。「中立」というのは、日米安保条約のような軍事同盟には参加しないということだ。「自衛」というのは、自前の軍事力を持つということだ。だからこそ共産党が与党の中心勢力になることを想定した民主連合政府の構想では、憲法9条に違反する自衛隊は解消し、その後、9条を改正して自前の軍備を持つという提案を行なっていた。
憲法制定時に反対したのだから、元々、共産党は護憲政党ではなく、改憲政党だったのである。
ところがソ連など東欧の社会主義国が崩壊し、冷戦体制が終結するもとで、共産党は大転換を行なうことになった。それが1994年の党大会であった。この党大会では、「憲法9条は、みずからいっさいの軍備を禁止することで、戦争の放棄という理想を、極限にまでおしすすめた・・・国際的にも先駆的な意義をもっている」「憲法9条にしるされたあらゆる戦力の放棄は・・・わが党がめざす社会主義・共産主義の理想と合致したものである」と9条を天まで持ち上げたのだった。
この党大会で「中立・自衛」政策を投げ捨て、「独立・中立」政策への大転換を行なった。その中身は、「急迫不正の主権侵害にたいしては、警察力や自主的自警組織など憲法9条と矛盾しない自衛措置をとる」というものだ。警察力で軍隊に立ち向かえというのだ。事実上の「丸腰」論である。
だがこんな無責任な安全保障論とも言えないような議論が通用するはずもなかった。数年後、田原総一朗氏が司会を務めるテレビの討論番組で不破哲三議長(当時)が、田原氏に「敵が攻めてきたらどうします」と詰め寄られ、「ありとあらゆる手段」という抽象的な答えしかできなかったのだ。そこで急遽、方針の転換を図った。それが「自衛隊活用論」なのだ。状況が変われば、これもまた変わりうる。