「岸田首相の核音痴」
―“非核三原則”堅持で日本を守れるのか―

.

会長・政治評論家 屋山太郎

 岸田首相が核拡散防止条約(NPT)再検討会議に入れ込んでいる。NPTというのは1970年に発効し、米露英仏中の5ヵ国以外への核兵器の拡散を防止する一方、5ヵ国は核軍縮交渉を行う義務を負うことを決めた条約だ。締約国は日本や核保有国などを含む191ヵ国・地域に及ぶ。核軍縮を狙う団体はこの他にも包括的核実験禁止条約(CTBT)や核兵器禁止条約(TPNW)などがあるが、空想的過ぎてモノにならないだろう。
 岸田氏がNPTに目をつけて、これを道具に核軍縮に切り込もうというのは一応「正眼の構え」というべきだろう。とはいえ、全く気に入らないのは自分が広島市出身だから適任だという売り込み姿勢である。苦しかった昔を忘れないという心情は恐らく誰もが持っている。しかしその苦労した人が中心となったからといって物事が成功するとは限らない。
 岸田氏が広島市出身だから責任者にうってつけとは誰も思わない。周囲が黙っているのは岸田氏の顔を立てているだけだ。この構図が心配なのは「ここは岸田さんについていこう」という無思想人間が増えてくることだ。岸田氏が名前を貸すことで、国連でまともな作業が始まりそうな錯覚を与えてしまう。
 まともな作業が始まるには出発点が正確に決まっていなければならない。ところが現状はどうか。核保有国は5ヵ国と決まっていながら、インド、パキスタン、イラン、北朝鮮、イスラエルも公然と核を所持している。こういう物騒な事態の中で核保有を認められているロシアが「核を使うぞ」と脅した。北朝鮮も年中、周辺国に向かって「撃つぞ、撃つぞ」と脅しをかけている。
 この核が充満する世界で日本を守っていると言えるのは、紛れもなく米国の核である。この拡大抑止力に頼る一方で日本がNPTに熱心になるのは、あたかも巨大な工作物を小さな部品から壊していくようなものだ。だからこそ歴代首相はNPTの会議には出席しなかった。米国が本当に核抑止に動いてくれるかどうかには不安がある。NATO5ヵ国は米国の核のボタンに手をかける権利を得ている。日本でも「核共有」の国民的な議論が一時、盛り上がったが、岸田首相の“打ち切り宣言”により議論が消えた。NPTの会議に加わる一方で「核共有」の議論をしてどこに支障があるのか。
 ロシアは日本が降伏を伝えてなお攻め続け、半月をかけて北方領土を掠め取った。領土分割の際「北海道の3分の1はロシアのものだ」と主張したという。ロシアの厚かましい歴史を見れば、ウクライナに侵攻したのも不思議ではない。「北海道をよこせ」というのも不思議ではない。我が国には核兵器を「持たず」「造らず」「持ち込ませず」があるが、「持ち込ませず」をやめるぐらいにしなければ、日本は核無策そのものだ。こういう穴倉に日本を導いてしまったのは自分だ、という自覚が岸田首相にはあるのか。
(令和4年6月29日付静岡新聞『論壇』より転載)