安倍晋三元総理の存命中に申し上げておけばよかったと悔いる問題がある。何年か前、元総理から「靖国神社参拝問題について考えておいてくださいよ」と言われたことである。当然、御自身も一つの問題、それは「参拝」ということについて確かな思想を持っておられたことは間違いない。しかし「参拝」を表明する時期と理屈は極めて困難である。
そもそも1985年の中曽根康弘首相の時代まで粛々と続いてきた首相の靖国参拝がなぜ途切れることになったか。当時の後藤田正晴官房長官は「中国が納得していない」旨を述べている。しかし靖国参拝中止の決定的根拠になったのは、昭和天皇が内密に語られた次の発言ではないか。これは2006年(平成18年)7月20日)に日経新聞が一面に挙げたスクープ記事である。元宮内庁長官富田朝彦氏の聞き書きのメモと言われる。文章を簡潔にするため箇条書きにした。天皇は、①私は或る時に、A級が合祀され、②松岡(松岡洋右元外相)、白取(白鳥敏夫元駐伊大使)までもが合祀されたと聞いた。③筑波(筑波藤麿靖国神社宮司)は慎重に対処してくれたと聞いたが、④松平(松平慶民元宮内大臣)の子の今の宮司(松平永芳靖国神社宮司)はどう考えたのか。⑤松平は平和に強い考えがあったのに、親の心子知らずだ。⑥だから 私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」(肩書は筆者注)
A級合祀が間違いなら、元に戻す分祀をすればいいとの案があるが、神道の教義上分祀はできないことになっており、この筋上には解決案がない。
A級戦犯が合祀されたことについて昭和天皇に不満があるようだが、B級、C級や樺太の電話交換手までが祭られている。
反戦的ムードのマスコミが吠えそうだが、吠える根拠があるのか。
世界全体を見渡して、戦死者が公式に葬られていない国があるのか。河野克俊前統合幕僚長が安倍首相のお供で硫黄島を訪れた時、ふと見ると安倍首相が滑走路沿いに埋められた遺骨に手をついてお祈りしていたという。(雑誌WILL9月号)。安倍元首相は訪問国の戦没者墓地をよく回る首相の一人だった。
日本国民の平凡な気持ちは8月15日でも春秋例大祭でも、首相と天皇がそろって靖国神社をお参りすることだ。こういう平凡でどこの国でもやっている祭祀が再開されて、どこの国がどう文句を言うだろうか。
問題は国際問題よりも国内の理屈の建て方である。先ほど述べたように、公式参拝を止めている決定打は、昭和天皇が言われたとする「松平には強い考えがあったと思うのに『親の心子知らずだ』」というセリフである。これは昭和天皇の本心だと思うが、れっきとした証拠がない。特に「松岡(洋右元外相)までが合祀された」という個人の怒りが神社の歴史を曲げかねない。この発言に目をつぶれば、全て円く収まる。
(令和4年8月10日付静岡新聞『論壇』より転載)