旧ソ連の初代大統領を務めたミハイル・ゴルバチョフ氏が8月30日、モスクワの病院で死去した。テレビの羽鳥慎一モーニングショーや関口宏サンデーモーニングなどを見ていると、「こんな時期だからこそ、いて欲しい政治家だった」とか、「平和と民主主義を追求した人だった」などの発言がコメンテーターから聞かれた。強い違和感を持った。
9月1日付『朝日新聞』に編集委員副島英樹氏のゴルバチョフ評伝が掲載されている。この評伝では、ゴルバチョフが総裁を務めてきたゴルバチョフ財団がロシアのウクライナ侵略に対して、「世界には人の命より大切なものはない。相互の尊重と双方の利益の考慮に基づいた交渉と対話のみが、最も深刻な対立や問題を解決できる唯一の方法だ」と呼びかけたことが紹介され、「対立ではなく協調を模索し、人類共通の利益を優先する理念が、この声明に込められている気がした」と結ばれている。
2014年3月、プーチン政権がウクライナ南部のクリミア半島を一方的に併合した際、「私がプーチン大統領の立場だったら、まったく同じことをしただろう」と全面的に支持をしている。まさに侵略者の立場に立っていたのがゴルバチョフなのである。副島氏はゴルバチョフの思想の柱は、「相互の尊重」「対話と協調」「政治思想の非軍事化」と述べ、「今世紀も人類の指針になりうる」などと評論している。こんなありきたりな文言をなぜここまで持ち上げるのか。そもそも「政治思想の非軍事化」とは何のことだ。意味不明である。
そもそもゴルバチョフはソ連の崩壊を望んでいたわけではない。多少の民主化は図ったとしても、基本はソ連共産党一党独裁政治をやめる気などなかった。しかし、東欧の社会主義国で民主化の動きが強まり、ブレジネフ時代のように、社会主義圏では一国の主権を制限し得るという「ブレジネフ・ドクトリン」は放棄せざるを得なくなっていた。
プーチンが「ゴルバチョフは、どんな改革が必要で、どうなされるべきかを分かっていなかった」と批判しているが、この批判は的を射ているだろう。結果として冷戦体制が終結し、ソ連が崩壊してしまったというだけのことなのだ。
これに対して、9月4日付『産経新聞』に掲載された前モスクワ支局長の遠藤良介氏の「民族自決の志 見えぬ2人」と題するゴルバチョフとプーチンの評論は大いに読み応えと納得感があった。
〈プーチンが批判するゴルバチョフもまた、目指したのはソ連の維持であり、ウクライナの独立は認めがたいと考えていた。このことを振り返るとき、今日に至るロシア大国主義の桎梏(しっこく)を思い知らされる〉
〈ペレストロイカ(再建)によるソ連民主化、米ソ核軍縮、東西冷戦の終結―。ゴルバチョフが世界史に残した巨大な足跡は決して過小評価されるべきではない。ただ、もともと共産党のエリートだったゴルバチョフが念頭に置いていたのは社会主義の枠内での改革だった。事態が急展開し、意図しないソ連崩壊に帰結したのは歴史の皮肉である〉
まったく同感である。