ウクライナや周辺諸国を犠牲にして繁栄してきたロシア
日本は国連の正常化を目指せ

.

政策提言委員・経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員 藤谷昌敏

 ロシア(旧ソ連)はなぜ戦後、国際連合の常任理事国となり、米国と並ぶ超大国となったのか。いろいろな要因があり、一言では言い表せないが、「巧みな外交術」「強力な軍事力」「急速な重工業化」「厳しい内部統制」「巨大な情報機関」などがあると考える。
 ロシアがいかに繁栄への切符を手に入れてきたのか、その足跡を辿ってみよう。
 
ウクライナを大飢饉に陥れながら工業化を強引に推進
 1930年代の世界恐慌で多くの資本主義国が不況に苦しむ中、ソビエト連邦はその影響を受けず、スターリンによる独裁的な主導の下で農業集団化と重工業化が断行され、表向きには高い経済成長を達成した。しかし、その実態は農民からの強制的な収奪による強引な工業化であり、農村弾圧の結果、ウクライナなどで大飢饉が発生した。このウクライナの大飢饉は、飢饉を意味する「ホロド」と、疫病や苦死を表す「モール」を合わせて、「ホロドモール」と呼ばれている。この飢餓の主な原因は、凶作が生じていたにもかかわらず、ソ連政府が工業化推進に必要な外貨を獲得するために、農産物を大量に輸出したことにあり、ウクライナでは、「ホロドモール」はソ連による人為的かつ計画的な飢餓であり、ウクライナ人へのジェノサイドとみなされている。飢饉によってウクライナでは人口の約20%が餓死し、正確な犠牲者数は記録されてないものの、400万から1,450万人以上が亡くなったと言われている。ウクライナが今回のロシアの侵攻に対して、高い士気を保ち、予想外の善戦をしている背景には、西側の支援もさることながら、ロシアに対する歴史的な敵愾心(てきがいしん)があることは想像に難くない。
 
ポーランドで大虐殺、第二次世界大戦の火ぶたを切りながら戦勝国に
 1932年と1934年にソ連・ポーランド不可侵条約とドイツ・ポーランド不可侵条約が締結された。1939年8月、ナチス・ドイツとソ連はモロトフ・リッベントロップ協定を結んだ。協定によれば、ドイツとソ連が双方に平和の書面による保証と、一方の敵と同盟したり援助したりしないことを宣言した。加えて、ポーランド、リトアニア、ラトビア、エストニア、フィンランドにわたるソビエトとドイツの勢力圏の境界を定義した秘密議定書が結ばれた。
 1939年9月1日、ナチス・ドイツは、不可侵条約を一方的に破棄してポーランドに侵攻し、9月17日、ソ連も日本との不可侵条約が発効したことを契機にポーランドに侵攻し、ポーランドを二つに分割した。ソ連は、ポーランドで「カティンの森」事件を起こし、捕虜にしたポーランド人将校15,000人以上を殺害した。事件発覚直後から、ソ連はドイツ軍によるものと主張したが、1987年に至ると、ソ連のミハイル・ゴルバチョフ書記長により、両国歴史家の合同委員会でこの問題が検討されることになった。1990年4月、ゴルバチョフは、事件におけるソ連の非を認め、公式にポーランドに謝罪し、1992年10月には、NKVD(情報機関KGBの前身)がポーランド人 2万人以上の虐殺を指令し、スターリンが署名した文書を公表した。
 
 
フィンランドなどから領土割譲
 1940年にはバルト諸国を占領してソ連に併合し、さらにルーマニアからベッサラビア地方を割譲させた。1940年3月、冬戦争終結後、フィンランドのカレリアとサッラ地域の一部を併合した。また極東方面では、1945年8月、日本に日ソ中立条約を延長しないと通告して参戦。満州国やサハリン南部、千島列島、朝鮮北部に侵攻して占領した。これにより、朝鮮統一問題、北方領土問題など現在に至る様々な禍根を残した。戦後は非ロシア人の住民を追放してロシア人を入植させる移民政策が進められた。
 
国際連盟を除名されながら、国際連合では常任理事国
 第1次世界大戦後、英仏日伊が常任理事国となって国際連盟が発足したが、1934年に日本が脱退した代わりにソ連が加入して、新たな常任理事国となった。1939年には、フィンランドに対する冬戦争が原因でソ連は国際連盟から除名されたが、第2次世界大戦後に国際連合が創設されると、ほとんど議論が尽くされることもなく、国連安全保障理事会の常任理事国におさまった。ソ連はポーランドに侵攻して世界大戦の火ぶたを切ったにもかかわらず、世界の大国として君臨した。戦後に至っても、世界を二分する東西冷戦体制を作り、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン戦争などの代理戦争を引き起こし、ベルリン危機、キューバ危機で世界を混乱に巻き込んだのだ。
 
国連の本来の役割を取り戻すには
 ソ連がなぜ常任理事国入りできたのかを考えれば、結局、国際連合は、大国のための平和維持と大国の利益保護、敗戦国の抑止、石油資源国のコントロールという目的で作られたもので、大国有利の利己主義的な組織という一面を持っている。不動の常任理事国5大国のみが強力な拒否権を持つことはその証左の一つである。
 拒否権は、重要な決定は5大国が一致しなければならないという原則からできたものだが、これまで5大国により計261回行使されており、うちロシアは124回(うちソ連119回)行使している。この拒否権の頻繁な行使が国連活動の大きな障害となっていることは明らかで、最近では、平和を守るべき常任理事国であるロシアがウクライナに進攻し、拒否権を乱発して安全保障理事会が機能不全に陥っている。拒否権を改革するためには、国連憲章の改正が必要であり、全常任理事国の批准が条件だ。批准に反対する理事国は多く、拒否権改革は容易ではないだろう。
 しかしながら、1945年に国連が51ヵ国が参加して発足したのに対して、2021年現在では加盟国は193ヵ国に上り、国際環境も大きく変化した。平和維持だけではなく、感染症対策など国連の機能が多様化しているにもかかわらず、安全保障理事会の常任理事国は入れ替わることもなく固定されたままだ。国際環境の変化に適応した柔軟な国連の体制を早期に構築する必要があるのは明らかだ。
 日本は、2023年から12回目の非常任理事国に就任することが決まっており、国連加盟国中、最多の非常任理事国となる。これまで核軍縮・不拡散や平和維持活動などの分野で国際社会に積極的に貢献してきた日本が米国をはじめとする民主主義的な勢力と共同歩調をとり、国連の機能を復活・強化しなければならない。そのためには、かなりの困難が伴うとは思うが、安全保障理事会からのロシア、中国の排除と日本、ドイツ、インドなどの常任理事国入りは必要不可欠なことだろう。