アメリカのバイデン政権は10月27日、核兵器に関する戦略の基本方針を総括した「核態勢の見直し(NPR)」を発表した。同時に「国家防衛戦略(NDS)」と「ミサイル防衛見直し」という2つの防衛基本策の文書をも発表した。
「核態勢の見直し」ではバイデン政権がこれまで核兵器の効用について「他国の核使用を抑止することを唯一の目的とする」とした消極的な姿勢から「米国やその同盟国が究極の状況におかれた場合には核攻撃をも考慮する」という積極防衛への転換が打ち出された。
しかしこの「核態勢見直し」ではいまロシアや中国が攻撃力を強める戦術核、戦域核の領域での有力な抑止策となる海上発射の中距離の核巡航ミサイルの開発が中止された。トランプ前政権時代に新開発が決まったこの巡航ミサイルはロシアや中国の戦場核使用の脅しへの効果の高い新兵器とされ、米軍首脳も公式に歓迎してきた。だがバイデン政権の政治判断がそのキャンセルを決める結果となった。
その結果、アメリカの核抑止戦略ではとくに東アジアでの短・中距離の水準での抑止が弱くなるとも指摘されている。
バイデン政権が今回、開発の中止を決めたのは海上発射核巡航ミサイル(SLCM-N)Sea Launched Cruise Missile-Nuclearである。同核巡航ミサイルは潜水艦や海上艦艇に搭載し、低威力の小型核弾頭を搭載する地域紛争用の戦術・戦域核兵器とされる。ミサイルの飛行距離も数百kmから2,500kmほどまでの短・中距離に限定され、戦闘や紛争での低次元での核抑止を目的にするという。
米軍は同種の海上発射の核巡航ミサイルの旧型をトマホーク・ミサイルなどとして長年、保有し、配備してきたが、1990年代はじめ第一次ブッシュ政権の時代にソ連共産党政権の崩壊に応じる形でほぼ全面、破棄した。
だがその後、トランプ政権が2018年に「核態勢見直し」のなかで新型のSLCM-N の開発を打ち出した。その理由は中国やロシアが地域紛争でも使用可能とみなす小型、低威力の核ミサイル各種の製造や配備を進めていることに対抗する核抑止策だとされた。
現にアメリカと中国・ロシアとの核抑止の構図では低次元での不均衡が目立つ。核戦力は核兵器の運搬手段の距離により、短距離(戦術核。射程距離が500キロ以内)、中距離(戦域核。500キロから5,500キロまで)、長距離(戦略核。5,500キロ以上)に3区分されるが、アメリカは短距離、中距離の地上発射核ミサイルは保有ほぼゼロである。一方、ロシアと中国は1,000基以上、数百単位と、それぞれ多数の兵器をこの短距離と中距離のレベルで保有している。
このため日本周辺でも中国が短・中距離の核兵器の使用を示唆して、威嚇をかけた場合、アメリカ側はその同じレベルでの核の報復や攻撃という抑止の手段を持っていないことになる。日本の防衛のためにもアメリカが同盟国として核抑止力を実効に移すという「拡大核抑止」の効用も薄くなるわけだ。この部分の不均衡を埋めるという目的で開発が決められたのが小型、低威力の海上発射核巡航ミサイルだった。
アメリカ軍部はこの新型ミサイルの開発を歓迎し、2018年には当時、陸軍参謀総長だったミリー将軍が議会で「アメリカの柔軟で計算された核抑止戦略にとって必要な核兵器だ」と明確な賛意を表明していた。ミリー将軍は2019年に統合参謀本部議長に任命された際の議会証言でも同様にSLCM-N開発の推進を主張していた。
ところがバイデン政権はこの新兵器の開発には消極的となり、2022年度の国防予算では研究と調査に1,100万ドルの予算をつけただけとなった。そのうえに今年3月に公表された2023年度国防予算ではSLCM-Nの開発はキャンセルとなり、そのための経費は全面カットとなった。その背景には民主党内の軍事忌避傾向の強いリベラル左派の議員たちからの「その核兵器開発の費用を社会福祉などに回せ」という趣旨の強い要求があった。議会調査局ではSLCM-Nの開発費用は2030年までに合計100億ドルほどになると推定している。
しかしウクライナ戦争でロシアのプーチン大統領が戦域核兵器使用の可能性を示したことなどでアメリカの軍部や共和党側でのSLCM-N開発を求める主張が改めて強くなった。
前記の議会公聴会でも、SLCM-Nに関しては米軍戦略司令部のチャールズ・リチャード司令官と米軍欧州司令部のトッド・ウォルターズ最高司令官の2人もバイデン政権の政策とは反対に開発支持の立場であることがこの両司令官からの直接の書簡で発表された。下院軍事委員会の共和党メンバーのダグ・ラムボーン議員がその書簡を公表した。
だがそれでもなおバイデン政権は今回の「核態勢見直し」で海上発射中距離核巡航ミサイルの開発を正式にキャンセルしたわけだ。その理由として同政権高官は「たとえ開発しても実戦配備は2030年代になるので目前の必要性を満たせない」とも語ったという。