アメリカのジョセフ・バイデン大統領が就任し、ホワイトハウスに入ったのは2021年1月20日だった。当時、選挙戦での対抗馬だった共和党のドナルド・トランプ前大統領はその前年の2020年11月の大統領選挙には民主党側の大規模な不正があったと主張して、バイデン氏の勝利を認めなかった。共和党側の多数がこの主張に同調し、バイデン大統領の登場時のアメリカ国政は混乱をきわめていた。
それからまる2年、バイデン大統領の選挙での勝利はその正当性を認められた。トランプ支持層の不満はなお激しく残るまま、民主党による統治はスタートした。そしてバイデン大統領はその4年間の統治の折り返し点を今年1月20日に通り抜けたこととなる。
ではこの中間地点までのバイデン大統領の統治はどうだったのか。肯定、否定、どこをどう評価すべきか。バイデン氏はそもそも異色ともいえる特徴を持つ政治家だから、その大統領としての実績の評価も複雑となる。
そもそも一国の元首や行政のトップの一定期間の功罪を客観的にまとめることは難しい。
科学的にだれもが納得するような評価の方法は存在しない。そこにはどうしても主観とか印象という曖昧な要素が入ってくる。統治の結果でも混在するプラスの部分、マイナスの部分をどう仕分けるかも難題である。
この種の評価は半分だけ水の入ったコップをどうみるか、にも似ている。半分は満ちている、と評するか。まだ半分も空の部分が残っている、と描写するのか。絶対に正しいという答えは永遠に出ないような難題である。
この点、バイデン大統領の業績をそのすぐ前の共和党ドナルド・トランプ大統領の実績とくらべるという方法は意外と客観性があるかもしれない。この方法でバイデン大統領の折り返し地点での採点を試みてみよう。
まずはバイデン大統領の対外政策をみよう。日本にとってもアメリカのどの大統領、どの政権の実態ではまず気にかかるのはその対外政策である。バイデン、トランプ両政権の対外政策の比較を大ざっぱに眺めてみよう。
バイデン政権は国際協調を看板に掲げる。実際に日本をも含めて同盟諸国との連携には熱意を注いできた観がある。「自由で開かれたインド太平洋」構想での日本やオーストラリアとの安保協力にも熱心なようだ。ロシアのウクライナ侵略に対抗するための西欧諸国との連携も円滑にみえる。この点、年来の同盟の絆を保持しながらも、その同盟の強化に熱心ではない西欧諸国などを容赦なく非難したトランプ政権の言動とは異なっている。だからバイデン政権の「国際協調」への賞賛の言葉や国際的にも多いといえる。
しかしその一方でトランプ大統領の時代には新たな戦争は起きなかった。ロシアのウクライナへの軍事侵攻はバイデン大統領の時代に起きたのだ。しかもバイデン氏がロシアのその動きの前段階から軍事的な抑止の手段はとらないと宣言したことがロシアのプーチン大統領を勇気づけたという側面は否定できない。
アメリカにとってのアフガニスタンの喪失もバイデン大統領の下で起きた。アメリカの歴代政権が過去20年ほど、民主化や政情安定に努めてきたアフガニスタンはバイデン大統領の唐突で混乱した大撤退のために、イスラム原理主義のタリバン政権にすべて奪われてしまった。
中国の無法な膨張に対してバイデン政権はかなり強固な政策をとっている。この点、トランプ政権の対中政策との共通部分も多い。しかし中国の軍事動向はトランプ政権時代とは明らかに異なってきた。台湾に対する空と海での軍事威嚇、とくに台湾と中国本土との中間線を越えての領空侵犯に等しい中国の戦闘機、爆撃機の侵入はトランプ時代にはなかった。
そもそも中国の侵略性、無法性に対して初めて正面からの対決政策を採用したのはトランプ政権だった。バイデン氏はその前のオバマ政権の副大統領として8年も、中国に対する関与政策を支持していたのだ。その名残のようにバイデン大統領は中国が侵略的な言動に出てもなお、中国との間の気候変動やコロナ対策での協力をもうたう。
バイデン政権が中国の抑止の中心政策のように推進する「自由で開かれたインド太平洋」構想も、実はトランプ政権の創作だった。
北朝鮮への姿勢もバイデン、トランプ両大統領では大きく異なる。北朝鮮の金正恩委員長のアメリカに対する態度ががらりと変わった。その理由はどうみても、バイデン、トランプ両政権の姿勢の違いのようである。
金正恩氏はトランプ大統領には接触や会談を懇願していた。そのために核兵器や長距離ミサイルの実験という挑発を止めていた。だがいまではバイデン大統領に対して傲慢な軍事挑発を続ける。毎週のように日本の方向へミサイルを発射する。
トランプ大統領は北朝鮮に対して核兵器全廃を求めながら、最悪の事態では北朝鮮に軍事攻撃をかけ、金正恩氏の斬首作戦をもいとわないという態度を明確にしていた。ところがバイデン政権では北朝鮮に対しての軍事的オプションが消えてしまった観がある。北朝鮮の挑発が一定線を越えれば、アメリカ側はやむをえず、軍事手段を行使するという「レッドライン」をみせないのだ。
アメリカの歴代政権に対して敵対的な態度をとってきたイランもトランプ大統領の時代には挑発を具体的な武力やテロで示すことは少なかった。一方、トランプ政権はイラン側でも最も好戦的は革命防衛隊の司令官を無人機で殺害した。だがそのイランはいまやウクライナ戦争ではアメリカの敵に等しいロシアに堂々と軍事支援を与えているのだ。
バイデン政権になってのアメリカの敵の増長はみなバイデン大統領の軍事忌避の結果として映る。とにかく「強いアメリカ」の標語の下に国防予算を画期的に増加し続けたトランプ大統領にくらべて、バイデン大統領は国防費は実質、削減という逆方向なのである。軍事力の効用を重視する中国や北朝鮮は、そのアメリカの軍事軟化に対して目にみえるほどの姿勢硬化を示し始めたといえる。
バイデン大統領の国内政策も負の領域では記録破りの高インフレがまず顕著である。さらに記録破りの不法入国者の激増も社会の不安要因となった。国民の政権への態度は最近のAP通信などの世論調査で「この国は誤った方向へ進んでいる」と答えた人が71%にも達した事実に集約されるだろう。
だがバイデン政権はトランプ氏の非や負を叩くことで勢いを保つ部分も多かった。ところがその構図もここへきて大きく変わってしまった。バイデン氏が「民主主義への脅威」として糾弾してきたトランプ氏の機密文書の流出がブーメランのような形で自らにも襲ってきたのだ。
バイデン氏がオバマ政権の副大統領として扱っていた機密文書多数が2022年11月2日、バイデン氏のワシントンでの民間執務室で発見された。同12月にはバイデン氏のデラウェア州の自宅でもみつかったという。いずれも同氏の弁護士たちが発見し、司法省や国立公文書館へ届けたというが、外部には内密にされ、今年1月9日にCBSテレビが報道して初めて一般に知らされた。
以来、アメリカのメディアはホワイトハウスやバイデン大統領自身に連日、この展開の実情を問う質問を浴びせ続けているが、明快な解答は出ていない。バイデン政権側はノーコメントや曖昧な言辞だけを続けているのだ。
連邦議会下院で多数派となった共和党議員からはさらに鋭い詰問が出た。「トランプ氏には家宅捜索という強制捜査が実施されたが、バイデン氏にはなぜそれがないのか」という質問や、バイデン氏の民間事務所だった研究所の母体ペンシルべニア大学が近年、中国系組織から合計5,500万ドルの寄付を受けたという記録の疑惑の追及だった。
バイデン大統領へのこの衝撃波がこんごの国政をどう変えるのか。アメリカ政治の激変も基本は分裂というような直線的な疾走ではなく、保守とリベラルとの振り子のような攻守の揺れだとみる私自身の認識が正しいかどうか、行方を眺めたい。
だがバイデン大統領の中間地点での実績の評価となると、以上のように、どうしても負の領域が多いようなのである。