作家の大江健三郎氏が亡くなった。日本人では2人目だというノーベル文学賞の受賞者だった。88歳だったという。この高名な文学者の生前の功績を讃え、冥福を祈りたい。
しかし大江氏については国際的に高い評価を受けた文学者の足跡とは別に、きわめて活発な政治活動家としての軌跡があったことも忘れられない。その政治活動の主体は日本という国家のいまのあり方への根本からの批判、さらにその日本国を防衛するという概念の否定だった。だから大江氏は盛んに日本の自衛隊の存在自体をも否定していた。実際に自衛隊の即時全廃を主張していたのだ。
だが近年、闘病されていたせいなのか、大江氏が自衛隊について正面から論評したという記録にはお目にかかったことがない。日本国民の大多数が自衛隊の存在を肯定し、前向きな賞賛の意までを表するようになった現在、大江氏もその全廃論を撤回したのだろうか。あるいは意見は変わらず、沈黙していただけなのか。知っていた人がいれば教えてほしい。
私にはこの大江健三郎氏がアメリカの首都ワシントンで自衛隊全廃論を勢いよくぶちあげて、逆にアメリカ側から批判されるという光景を実地にみて、報道したという経験がある。
その結果の記事が産経新聞に掲載された。その記事は「大江健三郎氏、ワシントンで自衛隊全廃論」という見出しで、その他の媒体でも幅広く転載された。大江氏のワシントンでのこの発言を直接に現場で見聞した日本人記者はどうやら私だけだったようだった。
この大江発言は1995年4月28日だった。28年が過ぎたいま、大江氏の逝去、そして自衛隊への日本国民の意識の変化などを踏まえて、当時の大江発言とそれに対するアメリカ側聴衆の反応などを再現してみよう。そこにはいまの日本にとっての貴重な教訓も浮かびあがるような気がするのだ。
まず私の当時の産経新聞記事は以下の見出しと、前文だった。全体としては短い記事ではあった。
大江氏が「自衛隊全廃論」 米国講演、聴衆からは反発も
【ワシントン4月29日=古森義久】ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎氏が28日夜、ワシントンでの講演会で、日本の自衛隊は憲法違反だから全廃しなければならない、という大胆な発言をした。大江氏は日本は自衛隊を完全になくすための道へといますぐ歩み出さねばならないと強調するとともに、アジアの人民に対し戦争の責任を謝罪し、賠償をすべきだとも主張した。米国人聴衆の中からは大江氏の発言に対し「あなたの主張にはまったく同意できない」という正面からの反発も飛び出した。
自書の英訳出版の宣伝などで米国訪問中の大江氏は28日午後8時(日本時間29日午前9時)から、ワシントンのフォルジャー劇場で英訳者のジョン・ネーセン氏との対話という形で講演した。
以上が記事全体の概略だった。このフォルジャー劇場というのはワシントンの連邦議会の議事堂に近い古い地区にある由緒ありげな劇場である。シェークスピアの作品を専門に上演したというイギリスの古い劇場の構造や内装を大幅に採用したというのだ。
さて私の記事は以下のように続いていた。
米国人7割、日本人3割程度の比率の聴衆約100人を前に、ネーセン氏の詳しい紹介のあとに大江氏がゆっくりとした英語で、自分の小説の背景や意図を説明した。
このあとの質疑応答で、米国人青年が「あなたは軍事とか防衛への反対を繰り返し表明しているがなぜか」という問いに応じて、大江氏は「日本のいまの自衛隊は軍隊であり、憲法に違反しているから、全廃しなければならない。私たち日本人は憲法順守という方向へ向けての新たな国づくりをいま始めねばならず、その過程で自衛隊を完全になくさねばならない」と明言した。
大江氏はさらに憲法について「日本の保守派にはこの憲法が米国から押しつけられたものだから改正する必要があるという意見があるが、米国の民主主義を愛する人たちが作った憲法なのだからあくまで擁護すべきだ。軍隊(自衛隊)についても、前文にある『平和を愛する諸国民の公正を信頼して』とあるように、中国や朝鮮半島の人民たちと協力して、自衛隊の全廃を目指さねばならない。終戦から五十周年のいますぐにもそのことに着手すべきだ」とも主張した。
大江氏のこの発言では自衛隊の存在自体が憲法違反であり、悪だというのだ。しかも中国や朝鮮半島の人民と協力して、日本国自衛隊をなくせ、と求めるのである。この発言には日本国という立脚点は感じられない。まるで中国や朝鮮半島の政治組織が日本に対してぶつけている政治圧力となにも変わらない、という感じだった。聴衆のアメリカ人とみうけられる青年から大江氏の意見への正面からの反対が表明されたことには、日本人としてほっとした。
私の記事はさらに続いていた。
大江氏はまた「日本はアジアの人民に対し戦争の罪を認めて、謝り、賠償を支払わねばならない」と語った。
聴衆の米人記者から「あなたは作品でも広島の原爆被災者についてのみ書き、犠牲者側の苦しみを強調するが、日本が弱体だったという点も含めて、あなたの主張にはまったく同意できない」という反論が出た。同記者は日本が戦争に関して、もっと加害者の立場に立つことを訴えた。
記事は以上だった。
大江氏は日本からは遠く離れたワシントンでの、しかも英語でのスピーチや意見表明ということなので、遠慮なしの率直な言葉を自由に発したのかもしれない。だが当時の日本で大江氏のこの種の意見にぶつけられるよりも明確な反対論がアメリカ側から出たことは、当時の私には新鮮に映った。
大江健三郎氏のノーベル文学賞作家としての業績が誇らしげに語られる一方、政治的にはこれほど過激な発言をしていたことも忘れられるべきではないだろう。