5月16日から20日にかけて、英国のトラス前首相が台湾を訪問した。そして、17日の講演の中で、トラス氏は台湾のCPTPP加盟を呼びかけた。台湾は既に加盟申請をしているが、このトラス発言は、ハードルが高いとされる台湾加盟への呼水となるのだろうか。勿論、トラス氏の発言は、一議員としてのもので、英国政府を代表するものではない。そもそも、CPTPPの加盟が決まったとは言え、まだ正式なメンバーでない英国が他国の加盟に言及することは考えにくい。本稿では、最近のスナク英首相とトラス前首相の発言を比べ、英国が台湾のTPP加盟を後押しするのか、推察してみたい。
トラス前首相の「経済版NATO」構想
今回の訪台でトラス氏は「経済版NATO」の創設も呼びかけた。これは今回が初めてではない。今年の2月17日に東京で開催された「対中政策に関する列国議会連盟」(英語: Inter-Parliamentary Alliance on China、IPAC)主催のシンポジウムでの基調講演で、この「経済版NATO (Economic NATO)」という言葉を用いている。その基本理念は、「自由を支持し、それを害するものを許さない」「貿易・通商は威圧ではなく自由に基づくものであることを確かなものにする」という基本的価値観を、集団的に「防衛」することにある。現在のウクライナ戦争は、自由・民主主義と権威・独裁主義の戦いの構図となっているが、この構図を経済にも広げようというわけだ。具体的には、サプライチェーン、投資、貿易の分野が「防衛」の焦点となる。だが、ウクライナ戦争と異なり、経済版NATOの「敵」はロシアではなく、中国になる。
実は、トラス氏はジョンソン政権で外相を務めていた時にも似たような構想を語っていた。それは「自由のネットワーク(Network for Liberty)」というものだった。自由貿易の拡大こそが、権威主義・独裁主義国家を封じ込める手段であるというのがトラス氏のビジョンである。CPTPP加盟に向けて交渉を開始し、これを強く推進したのもトラス氏であった。もちろん、EU離脱後の英国はEUに代わる新たな経済圏への加入を必要としていた事情はあったが、CPTPP加入は英国に国益と理念の両立をもたらすことになる。トラス氏の手腕は大いに評価されてよい。
スナク首相の「集団経済安全保障」構想
「経済版NATO」の必要性を説くトラス氏は、英保守党内でもタカ派と言われている。そして保守党内にも対中穏健派は少なからず存在する。ジョンソン政権で財務相を務めたスナク首相は、当初、これに属すると見られていた。経済を重視するならば中国との関係を断つようなことは好ましくないという姿勢だ。しかし、徐々にその姿勢は変化していき、5月19日から始まったG7サミットを前に、スナク氏は次のように語っていた。
「我々が直面し、大きくなりつつある挑戦をもっとよく直視しなければならない。中国は、包括的、戦略的な経済競争に打って出ている。また、ロシアが欧州のエネルギーを自らの武器とした時、我々と価値観を共有しない国家に依存し過ぎると何が起こるか知ることとなった。」
「我々の集団的経済安全保障の重要性は、かつてないほどに高まっている。共に働き、仲間同士の競争を避けることで、我々は繁栄を維持でき、技術革新を早く成し遂げ、独裁国家を打ち負かすことができる。」
(The Times, “G7 plots defence against Chinese and Russian meddling in economy”19 May 2023)
目指すところは同じ
このスナク首相の発言とトラス前首相の発言にどれほどの違いがあろうか。「経済版NATO」という言葉は用いていないが、代わりに「集団的経済安全保障」という言葉を用いている。結局、行き着く所は同じである。今回のG7の重要な点は、この経済安全保障の考えがG7で共有されたところにある。しかも、EU離脱後、「グローバル・ブリテン」を掲げ、CPTPPへの加盟も決まった英国が、積極的にこれを支持した。同じG7でもフランスとは明らかに立場を異にする。歴史的に見ても、英国は海洋国家であり、自由な通商によって繁栄を築いてきた。国際法は自由な通商を守るために発達してきた。これを否定する権威主義国家とは根本的に相容れないのである。
スナク政権が本気で「グローバル・ブリテン」に取り組むのであれば、中国のCPTPP加盟を承認することなどあり得ない。逆に、必然的な帰結として、人口2,000万を擁する自由民主主義国・台湾のCPTPPへの加盟は支持しなくてはなるまい。そうでなければ、「価値観の共有」とは所詮その程度のものかと見くびられてしまうだろう。
今回のトラス氏の台湾での発言にどれだけ英国政府が裏書を与えているかは分からないが、G7で来日したスナク首相が日本と「日英広島アコード」に合意し、台湾海峡の平和と安定や半導体をはじめとする重要物資のサプライチェーンの強靭化を謳ったからには、英国政府は「集団的経済安全保障」体制の中に台湾を含めることを考えているものと考えられる。そうなれば、CPTPPへの台湾加盟を英国が後押ししても何ら不思議ではない。ただ、英国自身がまだ正式な加盟国ではないから表立っては言えることではない。
このCPTPPを主導する立場にあるのは日本である。そして、EU離脱後、短期的にしろ、経済的苦境に立つこと明白な英国に手を差し伸べたのも日本だった。それが「日英広島アコード」に繋がっていると言える。今後、日英は、「同盟国」同士、海洋国家同士、CPTPPを牽引していくことになる。そんな日英が台湾加盟を一致団結して推進すれば一気に現実味を帯びてくるはずだ。英国はこれを望んでいるだろうというのが本稿の見立てだが、そうなると、後は日本が腹を決めるだけである。