日本戦略研究フォーラム(JFSS)は6月5日(月)から7日(水)に台湾を訪問し、研究者等との意見交換を実施した。訪台したメンバーは顧問の岩田清文(元陸幕長)、同じく武居智久(元海幕長)、政策提言委員の尾上定正(元空自補給本部長)の3名であり、事務局からは理事兼事務局長の長野禮子と長野俊一が同行した。
写真1 日本台湾交流協会とJFSSの関係者ら
到着日には(財)日本台湾交流協会に岡島洋之副代表を表敬訪問し(写真1)、2日目は今夏に予定されている第3回政策シミュレーションにプレイヤーの派遣が得られる(財)両岸交流遠景基金会(遠景基金会)と(財)国防安全研究院(INDSR)を訪問しシミュレーションに関する意見交換を実施した。また、帰国日には民進党で外交政策の第一人者である立法院外交国防委員会委員の羅致政(Lo, Chih-Cheng)立法委員(日本の国会議員に当たる)を表敬訪問し、日台議員交流の現状や台湾海峡周辺の安全保障についてご高見を賜った(写真2)。
写真2 立法委員の羅致政氏(中央右)表敬訪問
遠景基金会とINDSRでは当方から政策シミュレーションの概要とシナリオの骨子を説明したのち意見交換を実施した。JFSSにとって、台湾の研究者をプレイヤーとして招聘し台湾セルを設置してシミュレーションを行うことは初めての試みであり、状況は相手も同じであったため、双方向で本質的な意見交換となった。
遠景基金会の意見交換には、執行長の賴怡忠(Lai, I-Chung)博士、副執行長の宋承恩(Sun, Chen-En)氏と研究者数名が参加した。賴執行長は、台北駐日本経済文化代表処代表室主任、民進党中国事務部主任、民進党国際事務部主任、台湾智庫副執行長を歴任するなど、日台関係や外交安全保障に深い知見を有する人物で、シミュレーションには台湾総統の役で参加する予定である。したがって、当方のシナリオが設定している台湾政府の判断措置のリアリティ、あるいは台湾の政策決定過程における台米関係の重要性など、細部にわたって貴重なコメントを拝聴することができた。
INDSRでは理事長の霍守業(Huoh, Shoou-Yeh、元参謀総長)陸軍一級上将を表敬した(写真3,4)後、副執行長の李廷盛(Li, Ting-Shen、元空軍副司令)中将、戦略諮問委員の李喜明(Lee, Hsi-Ming、元参謀長)海軍二級上将、戦略資源研究所所長の蘇紫雲(Su, Tzu-Yun)博士、そしてINDSRで戦略研究に当たる約10名の研究者や現役将校等が参加して意見交換を行った。INDSRはすでに様々な机上演習(TTX)を行っていたため、先方からの指摘やコメントは、我々の想定したシナリオを軍事面から深化させていくために大いに参考となった。
写真3 INDSRの霍守業理事長(右から2人目)表敬
写真4 INDSR霍守業理事長(右)とJFSSの岩田清文顧問(左)
今回は2泊3日の短期訪問であったが多くを考える機会となった。
まず、「百聞は一見にしかず」ではないが対面による意見交換の価値を改めて実感したことである。人口約270万人の台北にあふれる活気とスピード感、松山空港を降り立ち五感で感じる親近感と理由のない懐かしさは二次元の世界からは知ることはできない。それは安全保障でも同じであって、2つのシンクタンクを訪問し、意見交換を行ったことで、台湾の安全保障研究者の苦悩を僅かではあったが知ることができ、貴重な経験となった。
ふつう地政学的環境を共有する国には類似した情勢認識や戦略概念が生まれるものである。日台はともに島国であり高い人口密度と乏しい天然資源といった制約は歴史的に人々を海外に向かわせてきた。言い替えれば、日本と台湾は生存と繁栄を海外との自由交易に依存する海洋国であって、ユーラシア大陸の周縁に位置し、狭い海を隔てて大陸から脅威を受けてきた経験も共有している。台湾人研究者と話すときに共鳴する場面が多い理由はこうした地政学的な共通項によるためであろう。しかし、地政学的に不可分の関係にありながら、1972年の日中国交正常化以降の日台交流は実務交流に留まっている。日台には国会議員の交流はあるが台湾側の熱意に反して日本側では個人レベルから発展していない。また、実務交流の外側にある安全保障分野の交流は手つかずに置かれたままである。
他方で、現在の世界情勢は日台の関係強化を強く促している。昨年末に閣議決定された新たな国家安全保障戦略は中国を最大の戦略的挑戦と呼び、我が国は2027年を目標に急速に防衛力の強化を始めている。戦略3文書の課題は明示されないまでも、中国問題と台湾問題である。台湾は我が国の防衛に強い影響を及ぼす地政学的なアクターである。台湾海峡危機は地理的に近い我が国に容易に波及するし、東シナ海の海空域を支配できる尖閣諸島の戦略的な価値は日台が共有している。安倍元総理が「台湾有事は日本有事」と言ったように、現在、日台が安全保障戦略を摺り合わせていく必要性は誰も否定できないに違いない。
第2は、台湾防衛に関する一般の人々と安保専門家の認識のギャップであった。
今回、複数回にわたってお会いした李喜明上将は党派に関わらず意見を求められる高名な戦略家であるが、入閣の誘いを断って政治的中立の立場を貫いている。それは台湾の平和は政治が守るものではなく台湾の人々が守るものであるとの信念と台湾防衛への危機感が李上将をして政界入りを拒ませているためである。しかし、一般の人々に危機意識は薄い。今年3月の台湾民意基金会の世論調査では、両岸交流が復活すれば中台の緊張が緩和されると考える人々は76.6%おり、そうは思わない14.6%とは大きな差がある。
李上将の主唱する「総合防衛概念」ODC(Overall Defense Concept)は切迫するリアルな脅威に対抗しようとする戦略である。台湾の防衛体制の目指すべき方向は潜水艦など大型で開発に時間がかかるばかりで費用対効果の低い手段ではなく、小型で動員力のある、しかも致死性の高い兵器を大量に調達して行うことであるとする。かかる非対称の防衛能力を持てば中国は力による現状変更の発動を躊躇う(think twice or three times)だろう。李上将は数々の論考により、あるいは自らYouTubeに出演し、人々にODCによる台湾防衛の必要性を説いている。内容は異なるものの切迫する中国からの脅威に備える点においてODCは我が国の国家防衛戦略に通じるところがあると思われる。中国が現状変更の圧力を強めているとき、政府が主導する戦略性のある日台の安全保障交流のニーズは高まっているのではないか。
第3は、台湾人のアイデンティティに関する閉塞感についてである。我が国は1972年から台湾と外交関係がなく、台湾を国家とは呼んでいない。しかし、台湾は歴史的経緯と地政学的要求によって世界に認知されていないだけで、国家が持つ権利と義務を規定した1933年のモンテビデオ条約の基準をすべて満たす、国家と呼んでも差し支えのない政治主体である。
台湾の多数の人々は自分たちを台湾人であると考えている。前述の台湾民意基金会の世論調査では78%の人々が自分たちを台湾人である考え、中国人でも台湾人でもあると答えた人々を加えるとその数は87%を超える。この傾向は2006年から継続し高止まりが続いているので、人々のアイデンティティ、つまり自分を台湾人であると考えるアイデンティティは定着していると言えよう。
その一方で、台湾の⺠意は独立ではなく現状維持であって、中国に統一されることは全く望んでいないが、台湾が独立を主張して中国との経済関係が損なわれることも望んでいない。周知のように台湾関係法によって台湾防衛にコミットすると思われるアメリカの台湾政策も台湾の独立を全く認めていない。つまり、国際政治の厚い雲が台湾を覆い、国連が認める「民族自決」の権利は台湾には認められず、独立でも非独立でもない「現状維持」という第3の国家アイデンティティを人々は追究せざるを得ない。台湾の研究者と話して、かつて李登輝総統が述べた「台湾に生まれた悲哀」は李登輝政権誕生後に生まれた世代が増え続ける今となっても存在し続けているように思われた。
最後に、今回の台湾訪問に当たって、訪問先の調整から日程の管理まで国防安全研究院助理研究員の林彥宏 (Lin, Yen-Hung)博士のご支援を賜った。末筆ながら誌面を借りて心からの御礼を申し上げたい。