日本はなぜ戦争をしたのか
-米国政府に巣食ったソ連スパイの野望-

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政策提言委員・金沢工業大学客員教授 藤谷昌敏

 昭和20年8月15日、日本がポツダム宣言を受け入れ、第二次世界大戦が終結した。この大戦では、日本の戦没者は約310万人と言われ、そのうち軍人の戦死者数は日中戦争での犠牲者も含み約230万人、残り約80万人が民間人の被災者だ。日本国内で唯一戦場となった沖縄戦では12万人以上、東京大空襲で約10万人、広島と長崎への原爆投下で20万人以上の民間人が犠牲となった。この第二次世界大戦の特徴は、軍隊の力だけでなく、各国の工業生産力や経済力、科学技術力などが戦局を左右する総力戦だったことだ。兵器に関しても、戦車や航空機の発達に加えて、レーダーやロケット、果ては原子爆弾に至るまで大量殺戮兵器が使用され、各国でたくさんの軍人、民間人が殺戮された。
 なにゆえ日本は、この大戦争に自ら口火を切るように参戦してしまったのだろうか。
 
日本の参戦の理由とは
 理由には様々なものがある。
①日本は明治維新以降、西洋列強に対抗するために富国強兵にいそしみ、帝国主義的な拡張を目指した。そのため、日本は安全保障の観点からも朝鮮半島や中国本土に対して領土拡張を進めた。これに対して、米国やロシアは非常に警戒心を高めた。
 
②日本は自国の存立に必要な資源のほとんどを海外に依存しなければならなかった。経済の繁栄と軍事力の強化のためには、海外への依存体質から脱却する必要があった。日本は戦争を通じて新たな領土を獲得し、資源を確保しようとした。
 
③日本の戦略的目標の一つは、アジアにおける欧米列強の影響力に対抗し、自国の地位を強化することだった。朝鮮併合や満州国建国はアジアにおける日本の影響力の拡大と強化に資するものだった。
 
④政治家や軍幹部、一部の国粋主義者らによる挙国一致体制を築くために、軍情報部、メディアなどが国民統合、民族主義高揚などを目的とした世論操作を行った。また、国内的には厳しい情報統制策がとられ、反政府や共産主義者だけではなく、自由主義者、平和主義者、キリスト教信者なども弾圧され、多様な思想や言論が淘汰された。
 
⑤ナチスドイツが電撃的に欧州を席捲するなど、国際的な緊張が高まっていた。日本は、米国の圧力に抗って東アジアを安定させるため、ドイツなど有力国との同盟を通して地域の安全保障を図ろうとしていた。
 
 日本は、こうした複雑な要因により、戦争に参加せざるを得ない状況に追い込まれていくが、日本の戦争参加の原因をさらに深く考察するならば、米国側の立場にも立って見なければならない。
 
米国の日本に対する対応
 当時の米国の大統領フランクリン・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)は、第二次世界大戦に参加することを望んでいたが、米国の世論は、欧州への不干渉か、助けるかで分裂していた。1937年、日本が中国に対して全面戦争を開始したことに対し、米国は、日本の侵略行為を厳しく非難して、ABCD包囲網(米、英、中、蘭)などの経済制裁に踏み切った。そのため、石油などの戦略物資の不足に悩む日本は、甲案、乙案など柔軟な妥協案を米国側に提示した。だが、最終的には、強硬な内容の「ハルノート」が日本側に手渡され、日本は「真珠湾奇襲」という戦争行為に打って出てしまった。開戦前の時点での日本と米国の国力差は、米国は日本に対して国民総生産 (GNP) で10倍~20倍、石油生産量で700倍に及び、長期戦となったことで日本は敗北した。
 お互いに戦争を望んでいなかったはずの日本と米国がなぜ戦争に陥ったのか。
 
「ヴェノナ作戦」で明らかになったソ連スパイの暗躍
 戦後、米国政府に数百に及ぶスパイ及びスパイネットワークが存在し、政府の様々な機密情報がソ連に筒抜けになっていたことが明らかになった。そのスパイを調査したのが「ヴェノナ作戦」であり、報告書が「ヴェノナ文書」と言われる。「ヴェノナ作戦」とは、1943年から1980年までの37年間、アメリカ合衆国陸軍情報部とイギリスの政府暗号学校が協力して行った、ソ連とソ連スパイとの間で交わされた有線電信による多数の暗号電文を解読する極秘プロジェクトのことだ。
 摘発されたソ連スパイの中で、日本を戦争に導いたスパイとして有名なのは「ハリー・ホワイト」だ。
 ハリー・ホワイトは、フランクリン・ルーズベルト政権下で財務次官補を務め、ソ連のスパイとして活動していた。ハリー・ホワイトは、国務長官コーデル・ハルが日本に提示した最後通牒「ハルノート」の実質的な起草者であり、このハルノートは「日本軍の支那、仏印からの無条件撤退」「支那における重慶政府(蒋介石政権)以外の政府、政権の否定(日本が支援する南京国民政府の否定)」「日独伊三国同盟の死文化(同盟を一方的に解消)」などが骨子であり、日本には受け入れがたい内容だった。「本来、国務省が起草するはずのハルノートを財務省の次官補でしかないハリー・ホワイトがなぜ起草したのか」、「ハルノートは、なぜ、それまでの日米交渉での経緯や妥協点を全く無視した強硬な内容だったのか」など、数々の疑問点がハルノートにソ連の意向が大きく影響していたと感じざるを得ないところだ。
 
 こうして日本を戦争に引き入れようとしたソ連スパイの暗躍は、米国内の対日参戦を望む勢力と相まって見事に日本を敗戦に追い込んだ。その結果、アジアへの足掛かりを得た米国と日本排除に成功したソ連は世界を二分する大国となったものの、米ソ対立による冷戦に敗れたソ連は結局、崩壊してしまった。国民を支配し、世界の各界各層にスパイを浸透させていた巨大な情報機関KGBがなぜソ連の崩壊を止められなかったのだろうか。結局、どんな巨大な情報機関と言えども決して万能ではないことを現在のロシアや中国は思い知るべきだろう。