「政治家の『カネ』問題」

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会長・政治評論家 屋山太郎

 日本の政治は民主主義と選挙で、世界一立派であるかのように言ってきたが、昨今の政治を見ると世界でも稀な下策な様相を示している。このところ自民党の支持率低下、かと言って野党の支持率も上がらない状況は、政治が腐敗していることを示したものだった。何しろ派によって何十億円の“脱税”があり、それを申告し直すことで“政治献金”にし直し、法を逃れようというのである。
 こういうインチキが国会の場で堂々と行われ、国民が納得すると思うのか。もしそうだと思っているなら、自民党はお終いである。自民党は派閥の維持に最高の価値を置いているが、派閥などはすぐ再生できる。心ある人物が自らの信念を述べる。それに賛成する人は群を成す。本来、それが派閥、同志であって、現状のようにカネで集めるよりよほど健全だ。安倍派のように強固な派閥が、親分が亡くなったら5つか6つに分裂して統一できないというのは同志でも味方でもない。欲ボケとしか言いようがない。
 実はこの政治スキャンダルは20年前にも起きた。結論は「国が政党に政治資金として310億円配る。貰った政治家がパーティで手伝った人達に支払う限度額は20万円にとどめる」旨を政治改革と称して「5年間で成立させる」という約束だった。この談合に潜り込んで来たのは森喜朗氏で、森氏は最初から政治改革を潰す気でいた。しかし政治に国のカネを出すというのである。只事ではない。現在なら「国にカネを出させよう」というだけで政治家失脚の判を押されるだろう。
 この国の良策を森氏は完全に崩し、さらに政治献金を増やす算段をした。一連の政治談議に森氏はひっそりと1、2度顔を出しただけで、“無関係者”を装っているが、安倍派の歴代代貸しは森派の方針を代々聞いてきた。その証拠に安倍派の政治資金が並外れて大きくなっていることから分かるだろう。森氏の功績は派閥のカネを大きくしたが、派を五分裂にしたのである。
 こののちに、森氏のいう事を聞く人間を親分にして、もう一度、天下を握ろうとしたのかも知れない。そうなれば自民党は完全に没落する。森氏にはそもそも金銭的感覚が欠けている。
 角福戦争といって、田中角栄氏と福田赳夫氏が天下取りを争ったことがある。時の田中角栄氏はカネに糸目をつけないほどのカネを放り込んだが、福田氏は「政治は浄財でやるもの」という主義を曲げなかった。当時のモラルそのもので一般庶民も同様だった。角さんはそういう倫理の世界を知らず、のちに森氏のような人物が政治資金のタガを外していってしまう。境目がなくケリが付かなければ、法律によってタガを嵌めるしかない。その限度が20年の「政治改革」だと確信すべきだ。
 パーティの会場費を払う。手伝ってくれた人に手間賃を払う。これだけ許されればパーティをするくらい簡単なことだ。これで政治ができないと思う政治家は頭が狂っている。