日本共産党の29回党大会が先日中旬に終わった。委員長には、女性初の田村智子氏が就任し、志位和夫氏は議長に就任した。この党大会に関連して、2月5日付朝日新聞に興味ある投書が掲載された。「共産党 自由な議論に期待する」というタイトルで次のように述べられている。
「党大会で共産党は、除名された松竹伸幸氏が請求した再審査を却下した。残念だ。党首公選などを主張していた松竹氏、除名されたもう1人の元委員の著書を読んでみたが、共産党への印象を覆すような自由な論が展開されていた。こんな議論が交わされている党なら魅力を増すと思った」「(共産党に)求められるのは内部であろうと外部であろうと批判や異論に謙虚に向き合い、自由闊達に議論する党風ではないか」「もう少し幅のある、開かれた党になってほしい」
誠にもっともな指摘である。だが実際の共産党は、この願いとは正反対の方向に走り出したようだ。今回の党大会で基調となったのは「共産党は革命政党である」ということの強調であった。大会決議は次のように言う。「多数者革命の中で共産党は何をやるのか、なぜ共産党が必要なのかという問題である。民主主義革命にしても、社会主義的変革にしても、その主体は、主権者である国民であって、国民の多数者が、自らの置かれている客観的立場を自覚し、どこに自分たちを苦しめている根源があるのか、その解決には何が必要かを理解し、日本の進むべき道を自覚して初めて、革命は現実のものになる」。
何十年前に先祖返りしたような記述だ。共産党は自覚の遅れた国民大衆を導く前衛であるという前衛思想そのものである。前大会の決議には革命政党などという記述はなかった。
こんなことを言い出したのには理由がある。共産党は2021年衆院選、22年参院選、23年統一地方選挙で、すべて議席を減らすという大失敗を繰り返した。本来なら、この失敗を重ねてきた志位執行部の責任が問われ、普通の政党なら執行部は全員退陣に追い込まれていただろう。だが選挙で選ばれるわけではなく、執行部の談合によって指導部を選ぶ共産党は居座ったままだった。そして居座りの屁理屈として持ち出したのが、自民党など支配勢力による「共産党バッシングが凄い。このため党の勢力が後退した」という“共産党バッシング”論であった。バッシングは共産党が不屈の革命政党だからこそ行われているというのだ。
こういう時こそ民主集中制を堅持し、党首公選制などに惑わされないことが重要というわけである。
党大会では神奈川県議会の大山奈々子県議団長が、松竹氏の除名を批判し、「排除ではなく、包摂の論理」と発言した。非常に勇気ある発言だった。だが田村新委員長が、討論のまとめで「あまりにも党員としての主体性、誠実さを欠く発言だ」と厳しく叱責した。党内外からパワハラという批判が寄せられ、早くも田村智子体制に失望の声が高まっている。