政治資金――私の穿った見方

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政策提言委員・元参議院議員 筆坂秀世

 コロナの前の令和元年(2019年)だったと思うが、当時自民党細田派の参院議員の朝食勉強会に講師として行ったことがある。会場は新宿のホテルだった。その時に招いていただいた議員から、びっくりするような悩みというのか、不満を聞かされた。「筆坂さん聞いて下さいよ。うちの派閥はいまだに森喜朗さんが来ると会合の空気がピシッと引き締まるんですよ。おかしいでしょう。何とかならないですかね」と言うのだ。
 森喜朗氏が首相だった時期は、私も参院議員だったので国会で論戦をしたこともある。いくつかの会合で同氏の挨拶を聞いたこともある。受け狙いで軽い言葉を連発する政治家として当時から際立っていた。“俺は大物の保守政治家だ”という空気をそこはかとなくまき散らしながら失言を連発する人物だった。
 その森氏が昨年8月、小渕内閣で官房長官を務めた青木幹雄の葬儀の際、「私にとっては(青木氏は)父親であり、兄貴であり、先生でもあった」と偲んだ上で、「心残りは小渕恵三さんのお嬢さんのことと思う。あなたの夢、希望がかなうように最大限努力する」と語ったのだ。青木氏が「いずれは党総裁候補に」と目をかけていた小渕優子氏のことだ。
 テレビのニュースでこの発言を聞いた時、呆れ果てた。「あんたは何様だ!」と怒鳴りつけたくなった。森氏は自分がこれからの内閣総理大臣を決める力を持っていると思っているのだ。自分の内閣すら1年しか持たず、史上最低の支持率で退陣した森氏に次の首相など語る資格はない。
 今、その森氏が関わった安倍派が政治献金問題で窮地に陥っている。この元凶に森氏がいるのではないのか。誰もがはっきりは言わないが、パーティー券代のキックバックは、20数年前から行なわれていたと語っている。現在の安倍派は、町村派、細田派などいくつかの変遷を遂げてきたが、20数年前と言えば森氏が会長だった。
 2年前の令和4年に、当時、清和政策研究会の会長だった安倍晋三氏がパーティー券の販売ノルマの超過分を還流させるやり方を中止するよう指示したのは、恐らくこれが違法性を持っていることに気づいていたからだと思われる。というより森氏以来のこのやり方を苦々しく思っていたのではないか。
 これは根拠のない推測ではない。今でこそ安倍派と言っているが、安倍派になったのは令和3年11月だった。安倍氏は長い間首相の任に就いていたので、その間は細田博之氏が会長を務め、細田派と称されてきた。安倍氏は会長になった5カ月後の令和4年4月に還流の中止を指示しているのだ。会長としての最初の仕事と言っても良いぐらいだ。同年7月に安倍氏がテロによって殺害されることがなかったなら、この指示は間違いなく実行されていたはずだ。
 安倍派5人衆などと言われているが、安倍氏の真意をくみ取れず、老害森氏におべっかを使っているようでは、とても派閥の幹部とは言えない。あえて言うなら患部だ。