戦いを忘れた日本人

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顧問・東京国際大学特命教授 村井友秀

 現代の世界を見ると各地で武力紛争が続いている。戦争はウクライナとガザだけではない。ミャンマーでもスーダンでも多数の戦争の犠牲者が発生している。何故、戦争が続くのか。多くの国で国民は好戦的であり軟弱外交は人気がないからである。何故、国民は好戦的なのか。嘗て戦争は勝てば利益があった。日本の戦国時代、戦争は「物取り(略奪)人取り(身代金または奴隷獲得)」が目的であった。現在でも戦争の利益の総量が不利益の総量を上回ると考える国はある。また、戦争は人間の本能にプログラムされた攻撃本能の結果であり、戦争の悲惨さをどのように説明しても、人間は本能に逆らって戦争を止めることは出来ないという文化人類学や社会学の研究もある。遺伝子の9割が人間と同じチンパンジーも敵対するチンパンジーの集団を皆殺しにする(ゴンベの4年戦争)。
 しかし、日本では戦争は人気がない。現在の日本人が好戦的でないのは、80年前に大敗北した敗戦の経験があるからである。80年前に日本は米国と戦い、300万人以上の犠牲者を出して戦争に敗れた。歴史的に勝利と敗戦を繰り返し経験した欧州の国民とは異なり、外国との大規模な戦争の経験が乏しく、戦争に関して素人であった近代の日本人にとって、敗戦は国民的PTSD(心的外傷後ストレス障害)になった。
 多くの国で戦争記念日とは戦争に勝った日である。全国民が勝利の高揚感に浸り民族的誇りを再確認する日である。世界中の国で戦争に負けた日を記念日にしている国は少ない。それらの国では敗戦記念日は戦争に負けた屈辱を思い出し復讐を誓う日である(「臥薪嘗胆」)。現在の日本では、8月15日に多くの日本人が80年前の戦争を後悔し懺悔する。しかし、日本の8月15日をテレビで見た外国人の中には、大東亜戦争の復讐を誓う日本人がこんなに多くいるのかと驚く者もいるのである。日本人の常識は世界の常識ではない。
 大東亜戦争後、日本人は1億総懺悔した。日本を占領した米国は、「米国に従順で軍事的に無能な日本」の実現を目指して日本の教育システムを改変した。日本国内でも大日本帝国時代に弾圧された社会主義者や共産主義者が活動を再開した。彼らは自分たちを弾圧した強い日本の復活を恐れ、弱い日本が彼らにとって安全だと考えた(強い国より優しい国へ)。
 占領軍と左翼には共通項があった。占領軍が軍国主義の復活を警戒する中で、弱い日本を目指す左翼が教育界やマスコミに大きな影響力を持つようになった。日本の教育界とマスコミは、政治、経済、歴史、文化が複雑に絡み合った政治現象である戦争を、広島・長崎の原爆と東京大空襲に単純化して戦争を否定した。
 戦後の日本は世界(国連)の常識である軍隊による平和を無視し、軍隊の暴力性を強調して軍隊からの安全のみを語る国になった。その結果、日本では軍事的無能を合理化する絶対平和主義が、対立や紛争が絶えない世界情勢とは関係なく蔓延していった。日本の常識は世界の非常識になった。
 無抵抗主義は日本の対外関係を致命的に弱体化した。無抵抗主義である絶対平和主義は、人間の生まれながらの権利である正当防衛を否定する。日本は侵略された国を助けるという国連憲章(集団的自衛権)を公然と否定する唯一の国になった。集団的自衛権とは、侵略された国から援助を依頼された第三国が勇気を出して侵略者を攻撃し被害国を助けるという意味である。集団的自衛権は善意の行動である。日本のように侵略された国を助けないと公言している国が国際社会で尊敬されることはない。
 日本の平和主義者の世界観は現実の世界と完全に乖離している。嘗て日本の平和主義者が理想の平和国家としていたスイスは各家庭に銃がある全人民武装国家である。また、日本の平和主義者が日本よりも真摯に戦争を反省していると主張していた第二次世界大戦の敗戦国ドイツは戦後も徴兵制を維持し、武器輸出も世界のトップ5である。ドイツでは冷戦後に徴兵制は中断されたが、再開を支持する国民は過半数を超えている(2023年)。欧米では徴兵制は、絶対王政に反対し民主主義を守るために国民が持つ不可欠の道具なのである。
 日本の安全保障の保険であった米国の影響力の限界が明らかになり、日本の国益を侵害する全体主義国家の活動が活発化する中で日本を取り巻く安全保障環境は悪化している。日本人が対決している外国人は平和ボケした非常識でナイーヴな日本人ではない。数千年にわたる権力闘争と殺戮の歴史を生き抜いてきた狡猾な曲者である。
 日本人にとって安全が保証された環境の中でのんびりと有り得ない戦争を夢想していた時代は終わった。これからは道を誤れば「鉄の暴風」が国民に降り注ぐ時代になる。しかし、現在の日本で見られる安全保障の議論は、威勢はいいが実戦経験のない畳の上の水練である。日露戦争後、陸軍省は「平時剛胆であり勇者であるもの戦闘場裡に於いても敵弾の洗礼を受けし時に於いても依然剛者であり勇者であるかと云う事は何人も否と答えるであらふ」、「概して平時鬼と称せられる人は戦時は婦女子の如く反之平時婦女子の如き人に豪傑の多い事は否定の出来ぬ事柄である」と報告している。
 今、安全保障の危機に直面する日本人に必要な精神構造は、何もしなければ死ぬ戦国時代の大名の家訓「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」(朝倉宗滴)であろう。