令和6年9月、筆者は「森と湖の国」に、2年ぶりに舞い戻った。フィンランド国際問題研究所(FIIA)が主催する「ヘルシンキ安全保障フォーラム」に、パネリストとして出席するためだ。
同フォーラムには、初日に登壇したストゥブ大統領をはじめ、フィンランドの要人が数多く参加していた。主催国のフィンランドにとどまらず、エストニア国防軍最高司令官をはじめとする近隣諸国の要人も参加し、安全保障について国際的に議論する場となった。
中でもアメリカからは、元欧州陸軍司令官(中将)に加えて、戦略国際問題研究所(CSIS)やランド研究所からも参加があり、筆者も米国防長官府筆頭部長とともに登壇した。アメリカ軍、米国防総省(ペンタゴン)、主要シンクタンクから多数のパネリストを招聘したことが何を意味するのか。NATO加盟によって、フィンランドが我々と同じく、西側の完全な同盟国となったことの証と言えよう。これは筆者が、拙著『フィンランドの覚悟』において強調した点である。かつての中立国の面影はもはや欠片も無い。
議論の中心は、ロシアによるウクライナ侵略である。かつて「冬戦争」というソ連による侵略を経験したフィンランドにとって、ウクライナの惨状はまさに他人事(ひとごと)ではない。フィンランドだけでなくヨーロッパからの参加者が一様にウクライナについて議論し、ロシアを批判するのを耳にしながら、最終日に登壇予定だった筆者は、自らの発信の方向性について思案していた。
「北欧版ミュンヘン安全保障会議」と言っても良い国際舞台において、個人の立場を超えた、日本としてのプレゼンスを示す必要があると考えていた。筆者は日本およびアジアからの唯一のパネリストだったこともあり、この思いは、外務省や在フィンランド日本大使館とも共有されていた。
ヨーロッパにおけるいまいまの思考枠組みに沿いながら、こちらの主張を伝えていくというのが、筆者なりに考えた基本線だ。自らのパネルでまず強調したのが、ウクライナ戦争に対して、日本がいかに貢献しているかという点だった。我が国については「NATO域外で最大の支援国である」と位置付けた。日本のウクライナ支援についての発信は、フィンランドメディアIlta-Sanomat(イルタ・サノマット)紙も反応を示し、「日本の准教授:日本はNATO域外における最大のウクライナ支援国である」と題して、取り上げてくれた。
ヨーロッパに対して、我が国がどれほどウクライナをサポートしているのかを発信するのは筆者の経験からしても極めて有効であり、もっと取り組むべきである。日本人はとかく謙虚をもって美徳としがちである。日本国内ではそれで良い。だが日本の外に一歩出れば、自らの実績をきちんと発信するのが大切であり、そうした発信がひいては日本自身の発言力確保にも繋がるのである。湾岸戦争時のクウェート支援にまつわる教訓を再び見つめ直すべきである。カネを出しっ放しではもったいなさ過ぎる。
僥倖だったのは、筆者が参加したパネルのモデレーターが、日本のウクライナ支援に対して、極めてポジティブだったことだ。というのも、筆者も参加したヘルシンキ市庁舎での晩餐会で、このモデレーターは岡田隆駐フィンランド日本大使とたまたま隣の席となり、その際にウクライナ支援をはじめ日本の外交安全保障政策について、話を聞いていたのだった。
次に筆者が強調したのが、ロシアの脅威であった。ただし、ウクライナの現況について、ヨーロッパの外交安保関係者と同様に分析してみせても興味を惹くことは難しいだろう。筆者が重点を置いたのが日本周辺におけるロシア軍の動きだ。昨年1年間だけで、ロシア機に対する緊急発進回数が174回に上ったと紹介したところ、北欧某国のインテリジェンス関係者を含め、多くの参加者から関心が寄せられた。日本とヨーロッパが、ロシアという共通の脅威に晒されていることを具体的な数字を以て示したのだ。
ウクライナ戦争中もロシアが極東で軍事的に活発であるという指摘は盲点だったらしい。その背景がフィンランドの専門家とのスカイバーでの懇談で明らかになった。彼によれば、フィンランド国境に近いロシア軍の基地はほとんど空だというのだ。フィンランドの公共放送ウレ(Yle)も、フィンランド軍のハイランクな情報源による情報として、平均して装備と兵士の80%がウクライナ戦争に再配備されていると、本年5月にフィンランド語で報じた。
ロシアはウクライナ正面に軍事資源を集中させており、他の戦線はがら空きである――というのがヨーロッパでの相場観だとするならば、ヨーロッパから遠く離れた極東でロシア軍がなお活動的だというのは彼らにとって驚くべき事実だったのだ。極東の現状を共有することで、ロシアの脅威を念頭に置いた日本との軍事協力の必要性について、ヨーロッパ側により強く認識させることができた。
ここから得られた教訓は、日本およびその周辺の安全保障環境について、数字やファクト(事実)で伝えることがいかに大切かということだ。いまや日本とヨーロッパは安全保障についての大局観を共有している。民主主義対独裁体制という大枠の中で、日本とNATOの協力進展が語られ、本年10月にはG7国防相会合が初めて開催された。些事ではあるが、筆者のヘルシンキ安全保障フォーラムへの出席もこの文脈に位置付けられる。しかしながら、当然といえば当然ではあるが、共有されていないディテールも存在している。自分たちにとっては当然と思っている前提などは意外に盲点となっている可能性がある。だからこそ、我々が直面する状況について数字やファクトできちんと発信することが必要だ。
筆者が参加したのは「北極圏を守る」というパネルだった。筆者はこれまでに、東京財団政策研究所や月刊誌「正論」で、米中対立の観点から、北極について執筆してきた。本年10月には、中国海警局の船舶が北極海を初めて航行したことが明らかになるなど、この地域でのロシアそして中国の動向に、懸念が強まっている。
北極問題についても、ファクトに基づいて日本のプレゼンスを高める工夫を施した。本年7月にアメリカ、カナダ、フィンランドは、氷協定(Ice Pact)とよばれる砕氷技術に関する協力構造を立ち上げた。こうした最新の動きを踏まえて、筆者からは「日本は世界第3位の船舶建造量を誇っており、造船そして砕氷技術という観点からも協力の余地がある」と述べた。するとパネル終了後に、アメリカの著名なシンクタンクの研究員から声を掛けられ、ワシントンにおいては造船能力をいかに確保するかが議論されており、「大変参考になった」とのコメントがあった。
経済安全保障の観点から、同志国の間でのサプライチェーン構築の必要性が、急速に高まっている。そうした中で日本の製造業が、いわゆるフレンド・ショアリングにおいて貢献できる余地は、格段に大きくなっている。中国の製造業への依存を低下させるならば、日本の製造業こそが供給網構築においてカギとなる――という視点だ。
3日間にわたって議論に参加して、最も強く意識したのは、日本の外交安全保障力の潜在性だ。本稿で述べてきたように、こちらからの発信の仕方を工夫することで、日本のこれまでの実績、そしてこれからの協力の必要性をヨーロッパ側により深く認識されることが出来る。世界が日本を必要とする場面をつくっていくことが、ひいては我が国の国益を増進していくのだ。
①パネリストとして発言する村上氏
②パネルディスカッション「北極圏を守る」登壇者