日本製鉄(日鉄)のUSスチール買収への米側の反対は「日鉄と中国政府の絆」が理由

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顧問・麗澤大学特別教授 古森義久

 日米両国間で波紋を広げる日本製鉄(以下「日鉄」)のUSスチール買収計画への米側の反対の奥に日鉄と中国政府との長年の絆への懸念が存在することが明らかになってきた。この懸念はアメリカ議会上院の銀行委員会委員長の有力議員からバイデン大統領宛の警告の書簡でも表明された。同書簡は米側民間の調査機関による日鉄と中国政府の長年の絆の調査報告書をも基礎として、「なお日本製鉄は中国側の人民解放軍に直結する企業とも密接なつながりがあり、そうした企業が米側の大手鉄鋼企業を買収することはアメリカの国家安全保障への危険となる」と述べている。なお日鉄側はこの懸念に対して「中国での活動はきわめて少なくなった」として中国当局との密接なつながりを否定している。
 日鉄のUSスチール買収計画はアメリカ政府の関連諸機関が集まって、個々の外国投資案件がアメリカの国家安全保障にどんな影響を与えるかを審査する「外国投資委員会(CFIUS)」での結論が出ず、バイデン大統領に判断を委ねられた。その結果、同大統領は退任直前の今年1月上旬、「アメリカの安全保障への有害な影響」を理由に買収禁止の方針を示した。後任のトランプ大統領もすでに「ノー」の判断を言明していた。
 こうした米側の反対論ではアメリカ国内の基幹産業の大企業が同盟国とはいえ、外国である日本企業の手に渡ることへの懸念が強調されていた。ところがアメリカ議会筋がこのほど明らかにしたところによると、この懸念は単にアメリカ基幹産業企業の日本側への移転だけでなく、日鉄と中国政府との密接な絆がアメリカの安全保障への危険を生む、という認識が大きいという。
 同議会筋によると、日鉄と中国との密接な絆への警戒は当初、アメリカ議会下院の中国特別委員会(正式の呼称は「中国共産党とアメリカの戦略的競争に関する下院特別委員会」)から非公式に提起された。議会での日鉄のUSスチール買収計画への態度はこうした中国のかかわりへの心配もあって、当初から明確な反対が多数派だった。
 例えば、2023年12月には当時の連邦議会上院の最有力メンバーともみなされたJ.D.バンス議員(後の副大統領)、マルコ・ルビオ議員(後の国務長官)、ジョッシュ・ホーリー議員(若手保守派の論客)という共和党3議員が「外国投資委員会」を主宰する当時のジャネット・イエレン財務長官宛に書簡を送り、同委員会がこの買収計画に断固として反対の意向を表明することを求めていた。
 こうした背景で最初に日鉄が中国政府と密接な関係にあることを主要な理由として公式に反対を明確にしたのは議会上院の銀行委員会の委員長だった民主党シェロッド・ブラウン議員(オハイオ州選出)だった。ブラウン議員はオハイオ州を代表して下院議員7期、上院議員3期を務めた民主党のベテランで、バイデン政権への影響力も大きかった。
 そのブラウン議員が昨年4月、バイデン大統領宛の公式書簡で日鉄の買収計画への反対を改めて明確に表明し、その主要な理由として日鉄が中国共産党政権と密接な関係にあることを指摘した。日鉄は中国の国有、国営企業とのつながりを通じて中国人民解放軍にも事実上の協力をしており、その人民解放軍こそが今のアメリカにとっての最大脅威なのだ、という主張だった。
 
ブラウン書簡は以下の諸点をあげていた。
・日鉄は1978年以来、中国の近代鉄鋼業の誕生を全面的に指導し、援助して、以来50年近く中国の鉄鋼産業とは基本的に一体となってきた。その結果、日鉄はアメリカにとって深刻な脅威となる中国の産業政策、軍民融合、さらにはグローバルな経済覇権追求にもかかわることになる。
・日鉄は現段階で中国国内合計9ヵ所の施設で全体あるいは一部の活動にかかわり、中国側の数社と提携を続けている。中国側との合弁企業としては「北京首鋼国際工程技術有限公司(BSIET)」が代表例である。BSIETの親会社は中国側の鉄鋼大手「北京首鋼社」であり、同社は米側の国防支出権限法の定義では「中国軍事企業」とされる。日鉄はその中国軍事企業とパートナーシップを保っていることとなる。
・アメリカ政府は日鉄と中国当局との関係を徹底して調査すべきである。なぜなら中国こそがアメリカの国家安全保障にとって最大の脅威であり、危険であるからだ。その脅威である中国がアメリカの産業基盤を根底から侵食する可能性がある。その最大の脅威に日鉄という日本の大企業が深く関与しており、その日本企業がアメリカの主要鉄鋼企業を買収するという事態は重大である。 
 以上の骨子は日鉄と中国当局の半世紀に及ぶ密接な絆が明らかに今のアメリカにとっても脅威となるという認識に基づいていた。日本側でこれまで報じられてきた買収計画への米側の反対理由では表面に出てこなかった重要な要因だといえる。

 日鉄が1970年代から中国側に鉄鋼事業の全てを教え、資金を提供し、上海に製鉄所を建設した経緯は広く知られている。ゼロに近い中国の鉄鋼業を日本側は日鉄が先頭に立ち、日本政府までが巨額の政府開発援助(ODA)を投入しての援助は今からみれば異様な観さえあった。日本が育てた中国の鉄鋼業は日本をも凌駕し、全世界の覇者ともなった。鉄鋼の隆盛は当然、国力、軍事力の強化にも結びつき、日本側は自国への脅威となるモンスターを育てる結果となった。
 この日中鉄鋼の絆は山崎豊子氏の小説「大地の子」でも美談として描かれた。その日中鉄鋼合体が今、同盟国のアメリカから批判的にみられ、日鉄のアメリカ進出への障害とされるという展開は歴史の皮肉といえるだろう。
 ブラウン上院議員のバイデン大統領宛の書簡は日鉄と中国政府の絆に関しては米側の民間調査機関「ホライゾン・アドバイザリー(HA)」による調査結果を引用する部分も多かった。HAはアメリカ政府や議会から委託されることの多い調査・研究機関で、中国の動向など国際的な戦略課題をその主対象として、ここ20年ほど活動してきた。今回はアメリカ議会の委託で日鉄と中国当局との関係を詳しく明らかにする報告書を昨年3月に作成した。
 同報告書は「構築された友好:日鉄、中国、そして産業基盤のリスク」と題され、日鉄と中国との鉄鋼分野での結びつきを歴史的かつ詳細に記していた。そして結論として日鉄(その前身の八幡製鉄なども含めて)は中国政府、その国営の鉄鋼業界と全面的に組んで中国の経済や軍事の発展に寄与しており、その現状はアメリカの安全保障にとって脅威だと断じていた。その上で日鉄によるUSスチール買収は米側への脅威や危険をもたらすと結論づけていた。
 このHA報告書で特に注視されたのは、日鉄が中国政府の新疆ウイグル地区でのウイグル人弾圧に加担する形で同地区に支所を設け、鉄鋼関連の生産や販売を推進している、という指摘だった。この指摘はブラウン議員のバイデン大統領宛の書簡にも主要部分に記載されていた。しかし日鉄はこの記述に対して「当社は新疆ウイグル地区内で活動したことはなく、この指摘は事実ではない」と発表した。昨年4月の出来事だった。HA社はこの否定を受け容れる形で昨年4月以降は当初の報告書からこのウイグル地区での日鉄の活動に関する部分は削除した。
 日鉄はこのHA社の報告書全体についても「不正確な点が多い」と言明した。同時に自社と中国との関係については「現在では我が社全体の活動において中国での活動はその5%ほどに過ぎない」と述べ、中国との特別の絆などを否定した。
 そしてさらに日鉄の動きが日米両国間で注視される最中の昨年7月、大きな展開が報じられた。日鉄が長年の中国での合弁会社「宝鋼日鉄自動車鋼板」との合弁事業を解消すると発表したのだ。同社の中国側のパートナー「宝山鋼鉄」の親会社は世界の鉄鋼最大手「宝武鋼鉄集団」である。この鉄鋼最大手は日鉄が長年、全面協力してきた宝山製鉄所の後身というわけである。日鉄はこの合併解消の理由について、中国市場では日系自動車メーカーの電気自動車への対応が遅れ、自動車向け鋼板の需要が減ったことを挙げていた。
 しかし、この合併解消もアメリカで日鉄のUSスチール買収が難航し、その主要な理由が日鉄と中国との結びつきとされている時期の真っ只中で起きたことには政治的な計算も推測された。「中国との絆はもうないのだ」という米側に向けての誇示とも受け取れるわけだ。だが、いずれにしてもこの「解消」によって日鉄と中国との多層重層の相互依存がなくなったわけではない。なお日鉄の中国側との他の合弁企業が残っていることはブラウン議員の報告書の指摘通りのわけだ。
 さらに日鉄は現在も中国との経済関係の拡大に極めて強い熱意を見せている。中国政府がその対日政策で中日友好7団体の1つとして重視する日中経済協議会の歴代会長には一貫して日鉄のトップが就任してきた。そして日中経済協議会は日本側の財界代表を集め、東京の中国大使館や北京の中国政府関連機関を定期的に訪れ、経済面での日中友好の促進に努めている。アメリカ側からみれば「日鉄と中国との特殊な絆の保持」として映る現状なのである。
 なお当のブラウン議員は昨年11月の議会選挙でオハイオ州選出の上院議員への4選を目指したが、共和党の対抗馬に敗れた。しかし日鉄の買収計画への反対は同じオハイオ州選出の上下両院議員団や上院の銀行委員会の同志議員らによって引き継がれている。
 以上は今、日米関係を揺さぶる日鉄のUSスチール買収計画に関して、日本側のメディアにはほとんど表面に出ない水面下の大きな要因なのである。