2025年1月、フィンランド軍情報部の新たな年次報告書が公表された。フィンランド周辺や北極圏におけるロシア軍の増強に加え、中国についてはグローバルサウス諸国に対する強い政治的・経済的影響力に言及があった。また、中露蜜月の観点では経済制裁によって対外輸出が難しくなったロシア産原油を24年7月の段階でその47%を中国が輸入しており、両国間の力関係のバランスが中国側に傾きつつあるとしている。また、ロシアがウクライナ戦争を継続していることで西側諸国の注目が中国から離れていることも中国を利していると報告している。
フィンランドの情報機関
フィンランドの情報機関としては国防軍の「防衛司令部情報部」(Pääesikunnan tiedusteluosasto(PE TIEDOS)、以下「フィンランド軍情報部」)、カウンターインテリジェンス機関として内務省の「安全保障情報庁」(Suojelupoliisi、SUPO)がある。フィンランド軍情報部はNATOの命名規則に従って別名「J2」とも呼ばれる。フィンランド軍情報部には下部組織として電波情報分析(SIGINT)、地理空間情報分析(GEOINT)、画像分析(IMINT)を担当する「防衛情報局」(Puolustusvoimien tiedustelulaitos, PVTIEDL)がある。
フィンランド軍情報部の歴史
フィンランド軍情報部は過去から現在まで、常にSIGINTとIMINTと共に歩み続けて来た。同部の歴史は後に同部長となるレイノ・ハッラマー(Reino Hallamaa)の体験から始まった。1918年、ソ連に程近いフィンランド領スールサーリ(Suursaari)島に派遣されたハッラマーは同島の灯台に放置されていた無線機を通じて、ソ連海軍バルチック艦隊による2桁暗号での通信を偶然傍受した。2桁暗号は単純で、ロシア語が分かる人間であればすぐに解読出来たという。
20年1月1日、フィンランド軍情報部は「第二室」(Toimisto II)として計5名の規模で参謀本部内に創設。8年後には正式に「第二部」(Osasto II)へ昇格し、当時は合計12名の将校が働いていたという。第二部内でSIGINTの専門家となったハラマーの提案もあり、27年以降、フィンランド軍情報部はソ連海軍通信傍受の為にヘルシンキ、ヴィープリ(Viipuri)、ソルタヴァラ(Sortavala)にソ連暗号通信の傍受基地を設置。35年にはフィンランド軍情報部がソ連海軍の新型暗号を解読することに成功し、バルチック艦隊の艦艇の種類や名前、行動内容を暗号解読によって完全に把握していた。
IMINTとしては、独ソによるポーランド侵攻直前の1939年4月30日から8月29日にかけて行われた、フィンランド空軍のブリストル・ブレニム軽爆撃機による23回のソ連への偵察飛行が有名だ。この偵察飛行は写真撮影を阻む厚い雲など天候に左右されることも多かったが、バルチック艦隊の母港であるクロンシュタット軍港など13回の偵察に成功。この偵察飛行にはフィンランド軍情報部と協力関係にあったドイツ国防軍情報部(Abwehr)の将校がブレニム機に同乗することもあったという。
同年11月29日、少佐に昇進したハラマー率いるフィンランド軍情報部は赤軍機甲旅団が翌30日午前6時にフィンランドへ侵攻するよう命令を受け取ったことを無線傍受で知った。ハラマーはこの情報をフィンランド軍総司令官マンネルヘイムに直接伝え、ソ連軍の無線封止が解除されたことも理由に侵攻が開始されると述べた。既に南の隣国であるエストニアの軍情報部の協力によってソ連軍最高機密であった大隊級以上の部隊暗号OKK-5を解読していたフィンランド軍情報部は同軍がその後の対ソ戦を有利に進める上で大きな活躍を果たした。
現代のフィンランド軍情報部
日本を含めた多くの国の情報機関と同じく、現代のフィンランド軍情報部の実際の活動については殆ど公にされていない。但しフィンランド国内での大規模なカウンターインテリジェンス案件やフィンランド軍の海外展開の際には関与が報道されることがある。
2018年9月、フィンランド警察、国境警備隊、税関、そして国防軍の合同チームがロシア人実業家パヴェル・メルニコフ(Pavel Melnikov)の不動産企業「アイリストン・ヘルミ」(Airiston Helmi)が所有するトゥルク沖合の小島を大規模捜索する事件があった。この捜査にもフィンランド軍情報部が関与していたと言われている。同島では大規模な建設工事が行われており、ヘリの離発着パッドまで設置されていた。一説には同島がフィンランド海軍基地や主要な航路に近いことから沿岸監視には打ってつけであり、一時期、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)の関与も示唆されていた。また、21年夏のカブール撤退の際、フィンランド軍は大使館員や在留国民の避難のため、特殊部隊である「ウティ猟兵連隊」(Utin jääkärirykmentti)をNATO軍の協力を得て現地に派遣した。その際、同連隊の活動支援をフィンランド軍情報部が行っていたとされている。
世界的に高まっているGEOINTの重要性とIHI、ICEYEの提携
この数年、世界的にGEOINTの重要性が高まっている。GEOINTとは衛星画像や航空写真、地形データなどを分析し、国家安全保障等に活用する諜報活動の一種だ。フィンランド軍情報部内でGEOINTを担当するのは下部組織の「防衛情報局」だが、こちらは情報部本体以上に厚い機密のベールに覆われている。だが、公開情報から推察するにフィンランド周辺で増強されつつあるロシア軍の動きを逐次モニターするために衛星を含めた複合多層的な情報網を利用していることは明らかである。
そして今年5月22日、日本を代表する重工企業の1つであるIHIはフィンランドに本社を構えるICEYE(アイサイ)社と合成開口レーダー(SAR)衛星のコンステレーション(群)を構築するための覚書を締結したと発表した。SARはマイクロ波レーダーパルスを利用することで、天候や昼夜を問わず高精度の画像データを得ることが出来る。レーダー画像の一種なので画像が粗いと言われることが多いSAR衛星だが、ICEYE社のものは最新の民生用光学衛星にも引けを取らない、世界最高の25cm解像度を誇る。最近の報道に依れば、コンステレーション用SAR衛星の製造拠点は日本国内に置かれるとのことで、日本の優れた電子技術との組み合わせによる性能向上も考えられる。また、防衛省はスタンド・オフ防衛能力に必要な目標の探知・追尾能力獲得のためにSAR衛星のコンステレーション構築を令和7年度の宇宙関連概算要求に盛り込んでおり、IHIとICEYEのSAR衛星コンステレーションがこれに該当する可能性は高い。
日本・フィンランド間の防衛協力が進展することは好ましい一方、国家安全保障を支える偵察衛星の海外依存度が高まることにはリスクも伴う。2004年に米国製偵察衛星の中枢部品に欠陥が見つかった際、他国の偵察衛星も同じ部品を使用していたことから重大な問題に繋がるリスクが高まった。しかし、日本が誇る情報収集衛星は独自開発であったため、この問題を避けることが出来た。日・フィン両国間で交渉中の防衛装備品・技術移転協定も踏まえ、より綿密な二国間協議や技術開示の際の透明性確保が求められるであろう。
《参考文献》
2)Finnish Military Intelligence Review 2025.
3)マケラ(Mäkelä, J.)『秘密のパズル―冬戦争と継続戦争における諜報部と活動―』(Salaista palapeliä: Tiedustelupalvelua ja tapahtumia talvisodan ja jatkosodan vaiheilta)WSOY, 1977.