高市政権は、これからスパイ防止法と対外情報機関の新設という、戦後の日本でタブー視されてきた2つの課題に挑戦する。ただ諸外国ではスパイ防止法と対外情報機関は当たり前の制度でしかない。ここでいうスパイ防止法とは、「外国のスパイ活動から国家の重要情報(防衛・外交など)を守るための法律」を指し、「防衛秘密や外交機密の保護」「スパイ行為そのものを処罰するための法的枠組みを整えること」を目的とする。
そして対外情報機関とは、外国の情報収集を目的とした組織のことでインテリジェンス機関とも呼ぶ。反対に情報漏洩防止を目的とした組織を防諜機関(Counter Intelligence)と呼ぶ。例えば、英国の場合、対外情報機関はMI6と呼ばれ、防諜機関がMI5である。対外情報機関は、外交行為や戦争行為において、国家が国益を確保し生存するために相手国もしくは敵対国に対して優位となるあらゆる情報を収集する。
ここでは、スパイ防止法の問題点と法のあり方、そしてもう1つの課題である民主主義国における対外情報機関をどう作るべきかを考える。
スパイ防止法の問題点
戦後の日本において、スパイ防止法は、1985年6月に衆議院に提出されたが、審議未了で結局廃案となった。思想信条の自由への抑圧ととらえた野党、取材制限を恐れたメディアが大反対したほか、国民の中に戦前の特高などの思想弾圧の意識が根深かったことも一因である。
スパイ防止法は、「スパイ行為」の定義が曖昧で、メディアの正当な取材や市民団体の調査活動、研究者の研究・調査のための情報収集が「スパイ行為」と誤認される可能性があると指摘されている。またスパイは一般市民に紛れて活動するため、捜査は必然的に一般市民にも及ぶ可能性があり、「通信の秘密」「プライバシー」「市民監視の強化」が懸念されている。そして捜査権限が拡張されると、「政府批判の報道」「公共性の高い調査報道」が萎縮し、民主主義の基盤が弱まる可能性も指摘されている。
こうしたスパイ防止法に対する様々な懸念に対して、どう対応するべきなのだろうか。
第1に、スパイ行為の定義を「国家機密」「外国勢力の利益のための活動」などと限定列挙し、恣意的拡大を防ぐ必要がある。米・英などでは、対象行為が明確に限定されている。
例えば、米国では、「国家防衛に関する情報を不正に取得する敵対国や外国勢力に伝達する。故意に漏洩するなどによって、米国の安全保障を害する意図がある場合」と定義する(Espionage Act、1917)。英国では、「安全保障・防衛・外交・情報機関に関する秘密情報を不正に取得し、保持し、伝達する行為をスパイ行為」と定義する(Official Secrets Act、1989)。罰則と対象を「外国勢力の組織的活動」に限定し、一般市民・研究者・報道機関を巻き込まず、外国情報機関・その協力者に限定する。
第2に、国会に独立した監視機関を設置する。この機関は、政府や政治勢力から独立した存在で、捜査件数・適用件数・不当適用の有無などを年次報告書として毎年公開する。
第3に、司法権の必要な場合は、捜査・通信傍受・家宅捜索などは必ず裁判所の令状を必要とする。報道機関への「公益目的の取材保護」条項を設け、公益目的の報道・調査報道は処罰対象外と明記する。不当な監視・捜査があった場合、独立機関に申し立てできる市民の権利救済制度を整備する。例えば、英国ではMI5は、司法権を持たないが、必要な場合は警察に案件を任せてしまう。これによって情報機関が司法権を持つことで人権弾圧などが起きないように配慮されている。
第4に、世界各国では、死刑もしくは終身刑を最高刑とする重罰規定を持つ国が多い。各国がスパイ行為を国家安全保障への直接的な脅威、戦争・紛争リスクの増大、外国勢力の利益の助長とみなし、国家に対する重大な裏切りと見ている証左である。我が国も重罰規定を制定し、厳しい態度で臨むことが外国のスパイ活動を抑止することにつながるのである。
民主主義国家における対外情報機関の在り方
日本の場合、これまで内閣情報調査室が国内外の情報収集や情報収集衛星による画像情報を収集し、日本の情報機関の取りまとめ役を担ってきた。その主体は警察庁で、国内の治安維持のためには公安部が防諜を担当している。各国大使館に要員を派遣しているが、日本国内の治安維持のための組織であり、対外情報機関ではない。日本では、対外情報機関と警察との区別がついていない知識人も多く、強制権が必要と考えている者もいるが、強制権を持ってはいけないのが民主主義国家における対外情報機関である。
情報機関は、外国の安全保障関係の機微情報、政治・経済・社会の重要情報などを秘密裏に収集する組織であり、強制力を持つと権力濫用の危険が飛躍的に高まる。強制権は本来、司法手続きに基づく透明性と責任が必要であり、民主主義国家において情報機関が強制権を持つことは、国民に対する厳しい監視国家となる恐れがある。
例えば米国CIAは国内での強制力行使を法律で禁止され、「外国情報の収集」に限定されており、国内の強制的な捜査はFBIなど司法機関が担当している。本来、情報機関の活動は議会・司法・独立監視機関によってチェックされるべき存在であり、秘密活動と強制力の組み合わせは権力濫用の抑止のため禁止されているのである。情報機関は強制権は持たないが、世界に網を張った自前の情報ネットワークと友好国の情報機関との情報共有により、強力な情報収集と分析の能力を持っている。
避戦の盾となり得る対外情報機関の早期設立を
対外情報機関は、外交と安全保障という国家の重要機能と密接な関係を持ち、最もコストの低い安全保障機能という一面も持っている。それが「情報機関の協力」(友好国の情報機関と情報協力を行い、自国の情報の質的向上を図る。例:ファイブアイズという米英など5ヵ国による情報協定がある)と「情報機関のバックチャンネル」(敵国同士の情報機関であっても水面下でつながり、緊急時の安全弁として平和維持や交渉を行う。例:今回の米イ戦争でも、戦争直前、和平の条件をイラン情報機関がCIAに通告してきた)という2つの機能である。
日本の場合、対外情報機関を持たないため、外務省が一貫して対外交渉を行ってきたが、戦争の危機に際して事前に相手国情報機関と前提条件について交渉できるならば、それは有力な和平への選択肢になるだろう。昨今の国際情勢の激変の中、本格的な情報機関の設置は急務であり、各関係機関の責任ある対応と先見の明に期待してやまない。