去る3月15日、日本の行く末を案じ続けた本誌を発行する日本戦略研究フォーラム常務理事が逝去された。出会って以来、筆者にとっては父親のような存在であり、自然と「お父さん」「ふみくん」と呼ぶ間柄となった。
私たちの交流は四半世紀の長きに及んだ。「~年の付き合い」という言い方がある。しかし、長く続いているように見えても、その間に空白期間があったり、何年も遣り取りが途絶えるケースもある。だが、お父さんとは1度も「ご無沙汰」になることはなかった。しかし、その呼称が示す親密さの奥底には、私的感情を超えた「精神的な師」としての厳然たる存在があった。
国際秩序が大きく揺らぐ現代において、軽佻浮薄な言説が世を覆う中、お父さんは終始、歴史に学び、現実を直視し、未来への責任を引き受けるという「矜持」を貫き通した。激情に流されることなく、澄明な思索によって「日本はどうあるべきか」という問いを胸に抱き続け、日々の言論と実践を通じて、それを体現しようとする姿は、静かながらも確かな光を放っていた。その言葉には常に重厚感があり、安易な迎合や一時の空気に流されることは決してなかった。
「ふみくん、これはどう考える?」
「ほう、さすが学者やなぁ。俺はこう思うんや」
「ふみくん、これはどう評価する?」
「いや、それは違うだろう。学者の割には分析が甘いなぁ」
「ふみくん、あの本は読んだか?」
「そうか、まだか。じゃあ、すぐに研究室に送るから、読んだら感想を聞かせて」
こうした遣り取りは、日々の営みの一部として自然に溶け込んでいた。叱責を受けたことも1度や2度ではない。しかし、その厳しさの根底には、筆者の成長を心から願う深い愛情と期待があった。思考の甘さを見抜き、容赦なく指摘する一方で、決して見放すことはない。それこそが、「精神的な師」としての本質であったように思う。
お父さんは、私利私欲から最も遠い場所に身を置いた人物でもあった。多くの人々を物心両面で支え、その幸福を自らの喜びとして受け止め、しかも、それを誇示することなく身を以て示し続けていた。このような振る舞いは、口にすることは容易ではあるが、それを自ら体現することは極めて難しい。見返りを求めず、ただ為すべきことを為す。そのスタンスは、静かな「倫理の模範」でもあった。
お父さんの遺したものは個人的な思い出に止まらない。「日本はどうあるべきか」という問いに対する1つの「実践的応答」である。それは書物の中の「空論」ではなく、お父さんの歩みそのものとして示された指針であった。こうした志は、お父さんを知る人々の内に生き続けるに違いない。
そして筆者もまた、この課題を引き受けて生きていかねばならない。「日本はどうあるべきか」という未完の問いは、お父さんと共に消え去るものではなく、残された私たちに託されたテーマである。その重みを胸に刻みつつ、自らの歩みを進めていきたい。