風流士の別れ

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研究員 橋本量則

 市ヶ谷界隈では防衛省の桜がまさに満開から散り始めの、最も美しい頃に、本稿を書いている。今年はそんな桜から溢れ落ちる花びらが、涙のように見える。それは単に雨天が多かったからという理由によるものではない。3月15日、JFSS常務理事が亡くなった。花も花なりに別れを告げているのであろう。
 思えば、長野氏は遊び心のある人であった。古典の言葉で言う「風流士(みやびを)」とはこのような人のことを言ったのであろう。私は持論として、真の保守主義者は「遊び心」を持っていると考えているので、初めて氏にお目にかかった際、まさにその通りだと妙に納得したことを今でもよく覚えている。
 だから、氏に頼まれて本コラムを執筆することになった時、私は自分なりの「遊び心」でそれに応えようとと心に決めた。政治や国防に関する真面目な話題であっても、そこに和歌を取り入れ、話を柔らかくし、日本人の心に直接語りかけられるようなものにしたい、そう考えたのである。歌詠みとしての私が氏の「遊び心」に応えられる術は、他になかった。
 私が長野氏に「遊び心」を見た一例をご紹介したい。氏が大病を患い、大手術を受けた後、食事を楽しめるまで回復なさった頃だった。食事をご一緒した私に、氏は自身の経験した「術後せん妄」の話を語り始めた。術後せん妄とは、全身麻酔や大きな手術のストレスを契機に術後一時的に発症する、意識の混乱、幻覚などを伴う精神状態のことだ。それを説明した後で、氏はニコニコしながら次のように語った。
 
「せん妄状態になったらどんな幻覚を見るのか楽しみにしてたんだけどさ、在原業平が出てきたんだよ」
 私が度肝を抜かれたまま聞いていると、氏は茶目っ気たっぷりの笑顔で続けた。
 
「それで業平にはいろいろ聞きたいことがあったから楽しく語り合ってたんだよ。廊下を通りかかった看護師さんがそれを聞いたらしくて、ずいぶん賑やかでしたねなんて後で言ってたよ」
「業平さんと話せたなんてすごいじゃないですか。彼はどんな顔でしたか?」
「いや、顔はよく見えなかったんだ」
 
 およそこのようなやり取りだったと記憶しているが、私はこの時の会話が楽しくてたまらなかった。和歌を嗜む私にとって在原業平は憧れの存在である。その業平さんと会って語りあったという人が目の前にいる。なんとも愉快な話ではないか。
 長野氏が何故そのような話を私にしてくれたのか。以前、私たちは業平の「かきつばた」や「みやこどり」などの歌について語り合ったことがあり、二人とも業平の和歌が好きなことを互いに知っていた。それで、業平と語り合ったことをわざわざ報告してくださったのだと、すぐにわかった。自らの辛い体験でもこのような愉快な話にしてしまう。これこそまさに風流士の遊び心であろう。
 だから私は思うのである。氏は今頃、今年見ることの叶わなかった桜の花の下で業平さんと楽しく歌について語り合っているに違いないと。
 最後に、歌詠みの端くれとして、歌で氏の遊び心に応えたい。
 
 こぼるるは花か涙かしのぶれど水面に絶えぬ花筏(いかだ)かな
 
 風流士や散るにまかせて音もなし花より先にゆきし君はも