安倍晋三氏が首相になって約4年が経つが、日本の政治や経済のあり方が根底から変わったような気がする。私が政治記者になったのは半世紀も前で、当時の日本は完全なる「官僚内閣制」だった。政界も経済界も全て官僚が仕切っている状態だった。先進国に遅れてスタートした近代化だったから、あらゆる制度を官僚が準備し“追いつき追い越せ”体制を取らざるを得なかった。それでも明治時代の官僚は官営の八幡製鉄所を創り、一人前の製鉄所になると民間に放出する常識を備えていた。この常識が日本を先進国の域に押し上げたのである。
しかし昭和と平成の官僚は官営企業があると、そこに天下って、給料を貪り食うようになった。中曽根政権時代、国鉄の分割、民営化に5年の歳月を費やした。私も“土光臨調”(第2次行政調査会)に出向して若干のお手伝いをしたが、驚いたのは、国鉄にぶら下がって暴利を貪っている会社の多さである。国鉄は会社の言いなりに価格を払って、赤字2兆円は全部、財務省がかぶる。この仕組みがある限り、黒字にしようというインセンティブがない。
財務官僚は細かな金融システムを作って、局長級をそこに役員として天下らせた。横浜銀行や広島銀行では天下りが頭取になったものである。
多くの公共企業体が官僚に都合よくできているから、整理や統合を極端に嫌う。土光臨調のあと行政改革推進審議会の類が13年間も続き、それに全部付き合ったが、分割・民営化できたものは国鉄を含めた3公社だけだった。
日本では政治や財政は全て官僚を土台として出来上がり、政治家はそれに踊らされている状態だった。憲法41条には「国権の最高機関は国会である」と書いてある。こんなインチキはないと常に思ってきたものだ。ジュネーブで外交交渉を取材した時に驚いたのは米国の公式文書に私有の会社の便箋が使われていることだった。各会社に資料を出させて政策を作成しているさまが実によくわかった。
これが日本だと役所が統計をとって、そこで政策を練る。政策の専門家を常備しているので、この方が効率的に見えるが、眺める方向は常に官の利益である。
財政も財務省(かつては大蔵省)の独占的支配だった。各省が需要や伸び率の統計を元に作った政策を財務省はどうにでもいじれる。財務省が各省の雄として存在できたわけだ。デフレを15年も続けて誰も責任をとらない。違う方法をとってみるなど模索した気配もない。こういう硬直した世界を安倍内閣は完全に変えた。変わった理由は2つだ。
1つは、官僚の幹部670人の配置の権限を内閣人事局(局長は政務の官房副長官)が握ったこと。外務省では秋葉剛男氏が一階級上の外務審議官に昇進した。農水省ではかねて農協改革を唱えていた奥原正明氏を次官に起用した。各省の忠誠心が内閣に向いてきたのだ。
もう1点は、政権が長いこと。首相の任期が長期でなければ農協改革などできない。
(平成28年12月7日付け静岡新聞『論壇』より転載)