「強制連行」や「強制労働」の被害を語る中国人や韓国人の訴訟は、日本国内では敗訴ばかりが続いた。旧鹿島組を相手に中国人が起こした損害賠償請求では、2011年3月、最高裁で敗訴が確定し、韓国人女性らが富山市の機械メーカー不二越を相手に起こした裁判も、同年10月、やはり最高裁で上告棄却となっている。
だが、日本国の加害者性の糾弾を使命とする日本の活動家や弁護士たちは、その程度の敗北でたじろぐことはない。2007年4月、最高裁第二小法廷判決は中国人被害者や遺族の請求を棄却するが、そこには「付言」があって、「被害者らの蒙った精神的、肉体的苦痛が極めて大きかった一方、上告人(西松建設)は前述したような勤務条件で、中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受け、更に補償金を取得しているなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」という文言がある。
活動家や弁護士たちはこの「付言」に注目、それを突きつけて西松建設との和解を成立させ、去る6月1日には三菱マテリアル(旧三菱鉱業)の和解をも成立させたのである。
同社を訴えていた中国人原告団への「謝罪文」で三菱マテは、対象者3765人に1人当たり金10万元(約160万円)の「誠意ある謝罪の証としての金員」を支払うことを約束するとともに次のように言う。「中国人労働者の人権が侵害された歴史的事実を率直かつ誠実に認め、痛切なる反省の意を表する。また、……弊社は当時の使用者として歴史的責任を認め、中国人労働者及びその遺族の皆様に対し深甚なる謝意を表する……二度と過去の過ちを繰り返さないために記念碑の建立に協力し、この事実を次の世代に伝えていくことを約束する」。
しかし「和解」を受けて、中国では早くも、新しい訴訟が提起されているという(櫻井よしこ「和解は追及の始まり」『産経新聞』2017年1月9日付)。日本での訴訟が挫折した後、訴訟運動は韓国で展開されたが、それに学んで今度は中国で訴訟が提起され始めているのである。
一方、活動家や弁護士たちの方はといえば、「歴史事実の反省」程度で満足することはない。三菱マテリアル訴訟で中国人側代理人を務めた平野伸人氏(平和活動センター所長、67歳)は、「和解」は「終わりではなく、追及の始まり」であると言い、三菱マテの和解は、①三菱以外の企業をも対象にする②韓国・朝鮮人の闘争にも波及させる③日本政府の責任を明確にすることへの第一歩であると、参議院議員会館での「中国人強制連行・三菱マテリアル訴訟和解報国集会」(2016年10月6日)で述べている。
それにしても、日本国の加害者責任を問う活動家や弁護士たちの情熱や使命感は奈辺に由来するのだろうか。重要なのは、彼らが欧米を発信地とする「罪の政治学」(Politics of Guilt)の信徒ないしは利用者たちであり、加害者責任に対する償(つぐな)いの実現を自己の使命としていることであろう。ホロコースト体験をその最も重要な記憶遺産とする「罪の政治学」は、今や世界の学界、言論界から政界に至るまで広い影響力を発揮する新しい世界宗教であり、それは加害者には償いを求めるとともに、犠牲者たちにはともすれば「特権」を付与する。
三菱マテリアル和解にも「罪の政治学」の影響があるのは明瞭であろう。今回の訴訟・和解の立役者の一人である弁護士の内田雅敏氏は、その謝罪文で三菱が「過ちて改めざる、是を過ちという」の語句を自発的に使ったことを評価し、また「会社の責任ある立場の者が中国に赴き、直接、受難者である生存労工に対し謝罪し、和解金を支給した」ことを評価する。「被害者」を、氏が「受難者」と呼ぶのもオヤを思わせるが、この人は明らかにこの言葉を普及させようとしている。「今回の和解は、中国人強制連行、強制労働問題の全体的解決、すなわちドイツ型の『記憶・責任・未来基金』に向けての大きな一歩となることが期待される(『世界』2016年7月号)」と、「罪と償いの政治学」の理想郷であるドイツへのオマージュを語るのもこの人らしい。
多分に似非(えせ)キリスト教的性格をもつ「罪の政治学」に日本が激しく揺さぶられるようになったのは90年代以後のことである。隣国の韓国が「罪と糾弾の政治学」の矛先をはっきり日本に向けてくるようになった時代である。今思うと、解放後の韓国が、迷うことなく「日帝」の暴力性や収奪性とともに抵抗の神話を作ったことが、その後の日韓関係をあらかた規定してしまった。それでも、韓国が貧しかった時代には、その後の展開が読みにくかったが、国力の増大に伴い韓国はその「罪と償いの政治学」の実践を日本に向けて迫ってきたのである。そのころには、犠牲者認定競争は世界の潮流で、韓国はその潮流をうまく活用した。
三菱マテの「和解」は、今や強制労働問題解決の「模範」などと評価される。評価したのは「朝鮮人強制労働被害者補償立法を目指す日韓共同行動」「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」「日本製鉄元徴用工裁判を支援する会」「強制連行・企業責任追及裁判全国ネットワーク」といった加害者責任の追及者たちである。
こんな姿に接すると、筆者には青年期に僅かながら接した日立裁判闘争(1970~74年)のことが思いだされる。日立製作所を相手に、在日韓国人二世・朴鐘碩が起こしたこの裁判闘争は、べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)系の日本人青年や在日二世の青年たちに支えられ、勝利する。判決は、日立が民族差別に基づいて原告を不当解雇したことを認めるとともに、在日の被害者性の歴史にも触れるもので、運動体からは「画期的」という評価を受けた。
そして今般の三菱マテの訴訟・和解に、平野伸人氏のような使命感にも実践力にも優れた人物がいたように、日立裁判のときにも優れた人がいたことを忘れるわけにはいかない。弁護団長を務めた中平健吉は誠実なクリスチャンで、後にアムネスティ・インターナショナルの日本支部長になった。今では、日本よりは韓国で記憶されているかもしれない。直観力と交流力に優れた活動家の佐藤勝巳氏が原告補佐人であったこと、更にはアメリカにおける「罪の政治学」に精通していた李仁夏牧師(後に日本基督教協議会議長歴任)の存在も忘れられない。アメリカや韓国における日立製品のボイコットを実現させたのは李仁夏氏の力であっただろう。そういえば、後に内閣官房長官になる若き日の仙石由人氏(民進党)は、その弁護士としてのキャリアの出だしのところで、たしか日立裁判との関わりをもっていたはずである。
そして平野伸人氏が三菱マテの「和解」をして、「終わりではなく、追及の始まり」であると言ったように、日立裁判の関係者も、裁判勝利に満足することなく、加害者国家日本の告発・糾弾に努めた。90年代に外国人登録証の指紋押捺制度を撤廃させると、次には外国人参政権要求へと進んだが、ここには「罪と糾弾の政治学」にありがちな「特権」要求の性格があった。「罪と糾弾の政治学」が陥りがちな、「日本いじめ」という性格もあった。
こうしてみると、日本には「罪の政治学」の自生的な伝統があることに気付かされるが、だから偉いというわけではない。今私たちに見えてきたのは、その成果とともに弊害の風景であり、日本国内のみならず、韓国や中国との関係でもそれは検討されるべきであろう。
そういえば、明日は、アメリカにおける「罪の政治学」の最大の成果であったバラック・オバマが、ドナルド・トランプに入れ替わる日である。