この4月、ハノイ市郊外にあるドンタム村で当局による強引な土地収用に反対する農民が公務執行中の警察官ら38人を監禁し、バリケードを築いて1週間に亘って村役場に立てこもるという前代未聞の事件が発生した。共産党の一党独裁下にあり、公安当局の権力が極めて強いベトナムで、こうした事件(まさに現代版の「百姓一揆」)が起こるのは極めて異例である。加えて、当局側にとって一大不祥事とも言うべき今回の事件が(極秘裏に処理されることなく)ベトナム国内で広く報道された事実も注目に値する。
そもそも今回の事件は、1980年に、軍用空港の建設用地としてドンタム村など周辺4ヵ村の用地が割り当てられたことに端を発する。その後、空港建設は度々見送られてきたが、2年前に「国防工事」として改めて着工方針が示され、100ha以上の農地を収用する作業が開始された。このうち、実際に空港が建設される予定の47haについては農民側の了承が得られ、当局への引き渡しも行われたが、残りの59ha分について国防省傘下の通信会社(ベトナム有数の携帯通信企業)に割り当てられることが明るみになって、「話が違う」と主張する農民の不満が一気に爆発した。
農民の不満の背景には土地の所有権をめぐるベトナム特有の事情も絡んでいる。共産党支配のベトナムでは、土地は国民全体の所有物であり、個人は当局からその「使用権」のみを認められるという建前になっている。ハノイやホーチミン市のような大都会の一等地は高額な価格で「売買」されているが、実際には「土地使用権」が売り買いされているのである。しかし、地方農村の土地となると使用権の価格は極端に安く、当局による収用となると二束三文の価格しか付かず、農地を強制収用された農民は翌日から路頭に迷うことになる。今回のドンタム村の場合でも、「坪あたり1円」のような低価格だったという。それも「国防のため」という大義名分があればともかく、私企業に近い携帯通信会社に引き渡せという要求では農民が「一揆」を起こすのも無理はない。
日本でも江戸時代には度々百姓一揆が起こっている。悪代官による年貢増徴など過酷な収奪が原因だったようだが、幕府上層部や大名への直訴はご法度とされ、事の如何を問わず一揆を指導した農民は死罪とされた。現代のベトナムではどうかというと、ハノイ市長が地元農民との話し合いに乗り出し、4月22日、ほぼ農民側の要求を呑む形で決着が図られ、身柄を拘束されていた警察官も全員釈放されている。農民の刑事責任は不問とされ、工事も停止された上、土地収用の経緯について45日に亘って調査が行われることになったようである。勿論、これで一件落着となった訳ではないが、取りあえず「農民の団結力の前に当局側が折れた」形になったのは確かである。国民世論の動向に敏感な共産政権としては仮に流血の事態になった場合の事態収拾の困難さも考慮して、ここは一歩譲ったというところであろう。
翻って、ホーチミン革命後のベトナムにおける農業政策は成功しているとは言い難い。30年前にドイモイ(刷新)政策が採用され経済の改革開放が進む中、製造業とサービス産業は飛躍的に発展してきたが、農業だけは旧態依然、生産性は著しく低く、農民の貧困問題は経済発展の足かせとなってきた。農業セクターの就労者は全労働人口の50%近いが、GDPで見た所得額は10%程度しかない。特に、今回の事件が起こったベトナム北部は、亜熱帯気候の南部に較べて気候が相対的にやや寒冷(冬場)であり、南部で一般的な二期作、三期作に適さない土地柄である。換金作物である果物類の生産量も南部に劣る。こうした中、ベトナム政府は農業の近代化を優先課題にしているが、その歩みは実に遅々としている。大都市周辺の経済発展が進み、都市住民の所得が急速に上昇するのを尻目に、1日1ドルで生活するような農民の不満はかなり鬱積している。今回の事件の背景にはこうした農村事情もある。
最後に、もう一つ、忘れてはならないことがある。それはベトナムにおける軍と警察の微妙なライバル関係である。今回の事件をめぐっては、大した武器を持たない農民が、強大な権力を持つ公安当局に属する警察官38名の身柄を拘束出来た「意外性」に関して種々の憶測が飛び交っている。そもそも今回の土地収用は国防目的ということで始まっているが、その実は、軍の「稼ぎ頭」である軍隊通信グループに企業用地を提供するのが真の狙いではないかと見るむきがある。だとすれば、軍が得するだけの土地収用に公安(警察)側が体を張るのはバカバカしいと考え、動員された警察官が農民側に「自主投降」をして騒ぎを大きくし、軍の理不尽さを敢えて白日の下に晒したと読めなくもない。メディアを実質的に抑えている公安当局が事件の報道を規制している様子がないことも、こうした「読み」が正しいことを裏付ける。更に言葉を付け加えるならば、軍と警察の背後にはそれぞれを権力基盤とする政治指導者がおり、今回の「ドンタム百姓一揆」は最高指導部における権力闘争の1つの表出事例に過ぎないと見ることも出来る。ベトナムの政治は奇奇怪怪である。