大手メディア各社の世論調査では安倍内閣支持率が7月半ばの時点で急降下し、軒並み30%台にまで落ちた。しかし政党支持率は殆ど変わらず、一強多弱のままの様相だ。いつでも無党派層が6割程度存在するので、急降下は無党派層に見放されたからだろう。
見放す原因があったとすれば、それはまぎれもなく稲田問題、森友、加計問題に尽きるだろう。稲田問題というのは南スーダンに派遣された陸上自衛隊の日報を巡って「存在しない」と答弁したものが、あとで出てきた問題だ。日報自体は秘密にすべき問題でも何でもない。文官が部隊の動きを把握しているかどうか“文民統制”に関わる問題と捉えられた。加計問題は獣医学部を愛媛県今治市に設置することになった手続きに疑問を呈し、安倍首相の意向を忖度したという。内閣府は2つともとるに足らない問題と見て審議を打ち切った。
一方で、多弱と言われる民進党など野党は嵩にかかって文句を言う。安倍首相はこれらを「印象操作」と断じて切り捨てたが、そのやり方がいかにも“独裁的”に見えた。本来なら民進党は政権交代のチャンスだから解散を求めるはずだが、本体が分裂寸前の様相に陥っている。この現象をどう見ればいいのか。
重要な参考になると思われるのが、先の都議会選挙である。小池知事率いる「都民ファースト」が告示前の6議席からいきなり55議席の第一党、自民党は57議席から23議席に転落。実に見事な“政権交代”である。なぜ都民が自民党から離れたか。都議会というのは知事の業績を見守り、チェックする役割だったが、全員がドンの言うことを聞くだけ。長らくチェック機能を喪失していたのである。小池氏はその現状を都民に気付かせるため、都知事給与の半減条例を提出し、あっさり実現して見せた。小池氏の自民党への進退伺いが最近まで預かられたままだったのは、安倍首相の意向だったという。都政の改革をやるべきだと考える点で小池氏と安倍氏は共通の理念を持つ。ただし安倍氏は自分で自民党を潰すわけにいかないから、見守る他なかった。
小池氏の作った「都民ファースト」は保守系の新党である。遡って、大阪府と大阪市の議会選挙を振り返ってみたい。府も市も自民党になり代わって主導権を握っているのは維新である。都に出現した保守系新党と同系統だ。首都と大阪で自民党になり代わってできた政党は、ただの地方政党ではない。将来、政権を担う役割を負って出現したと見なければならない。
もともと小選挙区制度は政権交代が起きる仕組みである。にもかかわらず政界が一強多弱の様相を続けているのは、多弱の側に問題があったからだ。それは野党を共産党が仕切っていたことだ。共産党との“共闘”を続けた結果、民主党が潰れ、民進党の存在も危うくなっているのだ。来秋とみられる総選挙では維新と都民ファースト、民進の前原誠司氏、そして橋下徹氏らが加わった新保守が誕生するのではないか。二大政党制の始まりである。
(平成29年7月26日付静岡新聞「論壇」より掲載)