最近、若者の自民党の支持率が高いまま、維持されている。50~60年前、自民党支持と言えば“年寄り”とか老人の代名詞のようだった。私が通信社に入社した昭和30年代は「日米安保条約に賛成」する社長がいて、びっくり仰天したものだ。卒業した大学では、教授も学生も「安保反対」が常識だった。
このような反米、親ソ・中の社会情勢が現出したのは、戦後の米軍がWGIP(ウォ-・ギルト・インフォメーション・プログラム)と呼ばれる占領政策を徹底したからだ。江藤淳氏は『閉ざされた言語空間』(文春文庫)で占領軍の検閲と戦後日本の実態を書いた。何回か江藤氏と食事をしたことがあるが、彼の危機感が10とすると私は6程度。別れ際に江藤氏から「もっと深刻に考えて」と言われたものだ。
終戦は私が中学1年生の時で、教科書は墨塗りの教科書になった。学校には月例のようにアメリカ人の二世が講習に来て、「民主主義とは素晴らしいものだ」と米社会の素晴らしさを語った。家で父にその話をすると「日本では大化の改新(西暦7世紀)の頃から『広く会議を興し、万機公論に決すべし』と言われたんだ。今更アメリカ人に民主主義など説教されてたまるか」と怒ったものだ。
占領政策の核心は①東京裁判を認めさせること ②原爆投下は戦争を止めるためだったと認めさせること――である。本来なら米軍は1928年のパリ不戦条約で日本を裁きたかったが、同条約は侵略を否定しているものの、「侵略」の定義がない。下手をすると逆効果だというので「東京裁判」を強行した。占領軍は事後法だから無効だという議論を押さえ込んだ。
次に原爆投下の正当化だが、原爆死没者の慰霊碑に「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」と刻まれた。誰が誰に言っているのか意味不明の碑文だが、こう書かせたのは占領政策の勝ちだろう。
この占領政策をそっくり引き継いだのが政界では社会党、共産党、言論界では朝日新聞だろう。占領政策の残された文書には東京裁判の最終弁論の全文書を使う出版社に「朝日新聞」が名指しで挙げられている。
現在60~70歳以上の層には占領政策が染み込んでいる。しかし戦後2世代も経つと作られた歴史は薄れて、民族本来の色彩が鮮やかに出てくる。吉田清治の作り話を持ち上げた朝日新聞が32年経って記事を取り消したようなものだ。
戦争も日本だけが悪かったわけではない。敗けると予想できた戦争を仕掛けた軍部は許せない。また軍独走を可能にした政治システムは根本的に間違っていた。国際情勢を見ようとせず、唯我独尊の自虐史観も危ない。
森友問題・加計学園問題、PKOの日報問題だが、私の常識では加計は許認可の一つ。日報は国政を左右するような問題ではない。マスコミや野党が騒ぐから、安倍内閣支持率はガタッと落ちたが、落ちた部分は“占領政策”派に移ったわけではない。政界再編が起きる前夜の様相だ。占領政策と無関係な健全な保守野党が誕生するだろう。
(平成29年8月2日付静岡新聞『論壇』より転載)