安倍晋三氏が急落した支持率を回復するため、自民党役員人事と内閣改造を断行した。失った支持は10%ほど戻った。改造は何とか成功したということだろう。かつて中曽根康弘氏時代の自民党は新自由クラブと合併しないと過半数を取れないところまで落ち込んだ。中曽根氏は当時、タカ派と見られていたが「自民党はレフト・ウィングまで手を伸ばさなければならない」と訴えて300議席の勝利を呼び込んだ。今回の安倍改造内閣は中曽根手法を取り入れたからこその成功だったのではないか。
改造直前の内閣は防衛、文科、法務各省の人事配置が劣悪だった。首相は将来の宰相に育てるつもりで稲田朋美氏を防衛相に抜擢したのだろうが、この人事が内閣全体の信用を落とした。防衛相は相当な軍事常識がないと務まらない。稲田氏にとっては贔屓の引き倒しだったろう。代わって小野寺五典氏が登場したが、どうしてこういう人を最初から任命しなかったのか。首相には部下を育てるという役目もあるが、その姿勢がまたもや“お友達内閣”と呼ばれ、タカ派内閣の様相を呈していた。タカ派を象徴したのが自ら憲法9条の改正を指摘し、2020年改正施行と期限を切って政界に迫った。その姿が世間には性急過ぎたのだろう。
今回の改造は首相が“身内”と“憲法”に対する考え方をきっぱりと改めた痕跡がある。レフト・ウィングにも手を伸ばした証拠が岸田文雄氏を外相から党政調会長に起用し、同派から小野寺氏を防衛相、上川洋子氏を法務相、林芳正氏を文科相、松山政司氏を一億総活躍相として4人を入閣させたことだろう。これで岸田後継色が決定的になったと同時に、石破茂派から斉藤健氏を農水相に、梶山弘志氏を地方創生相に引き抜いた。これで石破後継の目は全くなくなったと見ていい。
一方で安倍政治に異論の多かった野田聖子氏を重要ポストの総務・女性活躍相に起用した。彼女はマスコミに話題を提供することが「政治活動」と思い込んでいる風がある。気を付けた方がいい。
レフト・ウィングの決定打は外相に河野太郎氏を起用したことだ。首脳外交の時代だから外相ポストを当てがっても害がないと考えたのか、ここで修業をさせようと考えたのかはわからない。
安倍首相は中国・韓国は日本や他の世界の国とは全く異質の国と認識している。戦後の日本の政治家は贖罪意識もあって中・韓両国に下手(したて)に出る。下手に出るのは日本人の常識のようなものだが、中・韓両国に限ってはこれが必ず相手の増長を招く。7世紀の聖徳太子は対等外交を説き、20世紀の福沢諭吉は脱亜入欧を唱えた。安倍外交は戦後、初めて毅然として立つ中・韓外交に成功した。最大の失政者は宮沢喜一氏が率いた宏池会で、当時の官房長だった河野洋平、加藤紘一両氏が最悪だった。“河野談話”は韓国の歴史戦のタネにされた。その子息の河野太郎氏が“河野談話”をどう評価しているのか。否定すれば歴史戦は終わる。
(平成29年8月9日付静岡新聞『論壇』より転載)