7月27日、「日報問題」に関する特別防衛監察の結果が出され、それを受けて、防衛大臣、事務次官、陸幕長が辞任するという異例の事態になった。メディアは「隠蔽体質」「陸自の反乱」等々、相変わらずセンセーショナルに書きたてるが、いずれも表層的であり本質に迫った記事は少ない。日報問題に内在する本質的問題点は何か、改善すべき課題は、などはそっちのけで気分や空気に流されて騒いでいても「鼠一匹」出ない。
先ず2011年に施行された「公文書管理法」についての認識不足は、陸自は責めを負わなければなるまい。この法律は「公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」であり、「適切な保存及び利用等を図り」、「現在及び将来の国民に説明する責務が全う」されることを目的としている。従って行政機関で作成され、「組織的に用いる」文書はすべからく公文書となる。認識の甘かったところは、個人のパソコンに保存される電子データも含まれるというところだろう。
筆者はイラク派遣航空部隊指揮官を2年8ヵ月務め、日報を受ける立場にあった。日報の目的は二つある。一つは指揮官の指揮を適切にすることであり、もう一つは作戦(運用)全体の教訓をまとめるためである。このため、日報には日々の作戦に係ること、つまり天候、情勢、隊員の状況(健康状況等)、任務実施内容(成果)、今後の作戦に影響を与える事項などが報告される。
指揮官は日報から現場状況を掌握し、次なる作戦構想を練る。当然、これらは司令部組織を挙げて検討がなされる。そのため、幕僚は日報データを共有する必要がある。また次回派遣さる部隊も、派遣準備のため情報を共有する。
もう一つの目的は教訓の取りまとめである。全活動終了後、直ちに教訓が取りまとめられ、次なる活動の資とされる。日報は言わば「戦闘速報」であり、それらがまとめられて「戦闘詳報」となり、そしてやがては「戦史」となる。従って日報は貴重な歴史的一次資料と言える。このため研究本部や幹部学校など、教訓を取りまとめる部署にも日報データは当然保管されるはずだ。何れも幕僚のパソコンに電子データとして保管される。
筆者が現役の頃(~2009年)は、公文書管理法は施行されておらず、パソコン内の電子データは個人データとして扱っていた。だが、2011年以降は、「組織共有性」のある内容の文章は、個人パソコン内の電子データも公文書として明確に位置付けられた。そもそも「戦闘速報」が一般省庁と同じ公文書として位置付けられていいのかという問題があるが、これについては後述する。
聞くところによると、陸自システムの共有ホルダーにある日報は4万人の隊員が閲覧、ダウンロードできる状態だったという(3月下旬に閲覧者を制限)。日報は公文書管理上は、短期間で目的を達する「軽微な文書」として位置付けられ、「1年未満で破棄」されることになっていた。「戦闘速報」の管理がそれでいいのかという問題はひとまず置く。
具体的な破棄時期は「1年未満」であれば部隊長に任されているので、今回の破棄行為そのものに問題はない(情報公開法上の問題は後述)。だが原本を破棄しても、電子データとして残っている限り、個人パソコン内の日報データも公文書となり情報公開請求の対象となる。もちろん教訓を取りまとめる部署に保存されている日報データも例外ではない。4万人もの隊員がダウンロードしたとすると、破棄を指示してもどこかに残っていることは容易に想像される。公文書管理法の理解が欠けていたといわれてもしようがない。
2番目の問題点は、情報公開制度への対応である。7月17日、防衛省がフリージャーナリストからの開示請求を受理した後、即応集団(以下「CRF」)副司令官は、日報が該当文書から外れることが望ましいとして、日報が除かれた複数の該当文書を陸幕に送信した。この理由として副司令官は「部隊情報保全」「開示請求の増加を懸念」を挙げている。これを受け、9月16日、防衛省は日報を除いた複数の該当文書を部分開示することを決定している。
10月3日、防衛省は再び日報に係る開示請求を受理したが、CRFは上記同様の対応をとるとして、既に破棄され不存在との結果を提出した。開示請求後に破棄を指示したことも不適切だが、「破棄され不存在」とした後も、個人パソコンに電子データとして残っていることが後に判明し、結果的に虚偽の対応とされ厳しく処断された。
掘り下げるべき問題は、日報を外そうとした理由の「部隊情報保全」「開示請求の増加を懸念」である。現在の情報公開法では、秘密文書であっても、そのことを理由に不開示とすることはできない。その都度開示、不開示を判断することになっており、秘密保全上問題があれば、不開示として黒く塗りつぶし(「のり弁」状態)て部分開示するのが原則である。「開示請求の増加を懸念」との理由については、実情を知らないメディアは完全スルーを決め込んでいる。だが部隊の実情を知る者にとっては大いに同情はできるし、改善の余地があると考える。
日報は毎日50~70ページに及ぶ文書であり、1週間分でも約500ページにもなる。日報が開示請求されると、「不開示情報の妥当性」に照らし、どこを開示し、どこを不開示にするかという作業が始まる。この作業量は膨大なものである。しかもその調整は陸幕情報公開室、陸幕担当課、CRF、そして内局と多岐にわたる。その労力たるや大変なものである。他方、部隊にはその作業に係る要員は数名しかいない。ただでさえ忙しいのに、情報公開の作業で忙殺されれば、本業が疎かになり本末転倒だと副司令官が危惧したとしても不思議ではない。本来ならば、情報公開の作業量が増大すれば、CRF内に情報公開のための要員を増員してやらねばならない。だが、現下の状況ではそこまで予算の配慮がなされないのが実情である。加えて残念なことは、今回、軍事組織に対し如何に情報公開の規定を適用すればいいかという「そもそも論」については一顧だにされなかったことだ。これについては後述する。
特別防衛監察結果には記述されていないが、もう一つの重要なポイントが抜けている。事の発端は、日報にある「戦闘」の2文字にあると筆者は推察している。
自衛隊の国連平和維持活動への参加については、紛争当事者間で停戦合意なされていることが大前提である。陸自が派遣されていた南スーダンについては、近年、政府軍と反政府勢力の衝突が相次ぎ、停戦合意はすでに崩れているのではとの指摘があった。稲田朋美防衛大臣は、派遣継続の正当性を主張するため、日報にある「戦闘」の文言は避け、「武力衝突」と言い換えて国会で答弁している。CRF副司令官は、こういった国内政治情勢を忖度して、「戦闘」の文字がある日報を開示情報から外そうとしたのではないだろうか。そこには、今後の日本の国連平和維持活動の在り方について、重要な問題点が突き付けられているように思える。
国連平和維持活動は「停戦監視、兵力の引き離し」といった伝統的な「第一世代の平和維持活動」から、現在は内戦型紛争に対する「第二世代の平和維持活動」に移行している。破綻国家(failed states)、あるいは民族差別、宗教対立、そして貧困などが原因となる虐殺、民族浄化が多発しており、人権侵害防止のため、難民支援、武装解除、社会復帰といった支援活動のみならず、住民保護や文民保護のため、武器の使用を含めた積極的関与が基本的方向性となりつつある。
スポイラー(和平の妨害者)に対しては、中立性は不要というのが今の国連の方針であり、力の行使のための交戦規定(ROE)の明確化や国連部隊の自衛力の向上が求められている。この他、紛争再発防止のための信頼できる抑止力提供など平和協力活動はリアリズムが導入された「第三世代の平和維持活動」に移行しつつある。
このように国連の平和協力活動自体が大きく変容しつつある今日、日本だけが、「武力衝突」か「戦闘」かといった「言葉遊び」をしなければならないような「PKO参加5原則」に固執していいのか。今後の第三世代の国連平和協力活動に参加できるのか、できないとしたら日本は今後「積極的平和主義」の看板を下ろし、第三世代の国連活動には一切参加しないのか、あるいは「5原則」は変えてでも参加するのか、こういった核心的な問題点を日報問題は突き付けているのだ。
日報の文書管理に戻る。今回の騒動を受け、日報の保存期間を10年にしたと聞く。やや安易に過ぎはしないだろうか。先述したように日報はいわば「戦闘速報」である。そもそもこういう軍事作戦に係る報告文章を他省庁と同様の行政文書に位置付けていいのだろうか。先ずはこの是非を含めて広く有識者を含めた議論が必要ではないだろうか。
諸外国で「戦闘速報」を一行政文書と位置づけ、逐一情報公開の対象にしている国は、おそらく日本以外ないだろう。日報や戦闘速報は一次資料であり、歴史的にも重要な資料である。であるからこそ、欧米諸国では、逐一「のり弁」(不開示を黒塗りにする)にして部分開示するのではなく、永久保存とした上で30年後、あるいは50年後にそのまま完全開示するようにしているのだ。
もしこれまでと同様、行政文書として扱い、情報公開も同様に扱うというのであれば、部隊における情報公開の作業要員を増員し、部隊が本来の任務に専念できるようにしてやらねばなるまい。現行では国民の情報公開請求を制限することはできない。安全保障への関心の高まりを受け、今回のような情報開示請求が雨後のタケノコのように為されたら、部隊は本来の活動より、そちらに勢力を集中しなければならない。まさに本末転倒であり、真剣な検討が求められる。
日報を受ける立場にあった元指揮官として、もう一つ重要な視点を付け加えたい。繰り返すが日報の目的は、指揮官の指揮を適切にすることであり、作戦終了後に教訓を導き出すためのものである。この日報を実際に書く担当者は通常、現場の2佐や3佐である。彼らには必ずしも政治状況が完璧に把握できているとは限らない。「戦闘」と書けばPKO5原則に抵触するから「武力衝突」と書くべきだなどということに考えが及ばないのが普通である。忙しい現場に対し、いちいち六法全書を片手に、政治を忖度しながら日報を書くようなことを現場に要求してはならない。そんな「言葉遊び」は、指揮官が状況を把握する上で全く必要はないのだ。
むしろ現場にそこまで求めると、現場部隊は委縮し、事なかれ主義に走り、微妙な事象については報告を上げて来なくなる可能性がある。そうなれば指揮官に実情が伝わらなくなり、指揮官の指揮を誤らせることにもなりかねない。日報は政治の論争に使うべきものではない。今回のように国会で日報の文言を議論するならば、それは「目的外使用」であることを政治家には理解してもらいたい。
最後に、今回の事案はIT時代に直面するであろう宿命的課題が顕在化したということを指摘しておきたい。なるほど、イントラネットで情報共有は容易になった。だが、情報管理が最も徹底していなければいけない軍事組織で、誰が情報を共有しているかもわからないような事態はあってはならない。また文書破棄を命令しても徹底できないという指揮命令の基本にかかわるような不具合を生じさせてはならない。今後、戦場のIT化は益々進化する。今回の事案を糧として、文書管理のみならず広く戦場のIT化に対応すべく、各種規則を整備し徹底していくことが求められている。
蛇足になるが、日報問題がこれほど大きな騒動になったのは、陸自の公文書管理法、情報公開法に対する認識の甘さもさることながら、1月17日以降の防衛省の対応の不手際が大きい。陸自にデータが残っていた事実を陸幕長が正直に報告したのに対し、その事実をどうメディアに公表するか、防衛大臣に報告するのかどうか、国会への説明ぶりは、などの対外説明要領の問題である。これは、純粋に内局官僚のマネージメントの範疇であり、制服に責任はない。当初、この不手際をもひっくるめて「日報問題」として全て陸自のせいにしようとしたところに、制服が反発したという。制服と背広の亀裂が更に深まったところへ「怪文書(?)」が出てきて火に油を注いだということだろう。「陸自の反乱」「事実上のクーデター」などメディアはステレオタイプに書きたてたが、これも本質を見ようとしない的外れな記事である。
日報問題は防衛省に大きな痛手を負わせた。だが同時に軍事組織であり行政組織でもある防衛省、自衛隊に内在する本質的な問題点を浮き彫りにした。「言った、言わない」「聞いた、聞かない」など些事に拘泥して問題を矮小化してはならない。ピンチはチャンスという。折角の機会であり、安易に幕引きをするのではなく、顕在化した問題の本質を議論し直し、合理的な解決策を導き出すべきだろう。