先週の全国紙・地方紙朝刊に現・元首相4人が揃って寿司を食べている写真が掲載された。写真の出所は日本財団会長の笹川陽平氏のブログで、笹川氏の「的確な判断力を維持するためにも時にはリラックスする時間が必要」と短いコメントが付いていた。写真に納まっているのは左から小泉純一郎、森喜朗両元首相、安倍晋三首相、麻生太郎副総理(元首相)の4人。この画面から容易に想像できるのは小泉氏が下ネタの冗談を発し、森氏以下がそっくり返って大笑いしている図である。政治家が揃って、こんなに寛いでいる写真は珍しい。だからこそ、笹川氏は明るい材料としてブログに載せたのだろう。笹川氏が軽井沢の別荘に招待したのだという。
首相経験者を全員招待したとすれば、この中に福田康夫氏がいないのは不可解だが、もし出席していれば座がこんなに明るくはならなかったろう。福田氏は出席した4人とは全く異質の思想、性格だからだ。
安倍氏ら4人の対中感覚は「ペコペコする必要はない。日本と中国は対等だ」と聖徳太子以来の伝統的思考で貫かれている。しかし福田氏は首相になる以前から「相手の嫌がることはしないのが外交でしょ」と前のめりになっていた。官房長官時代には駐日大使だった王毅外相と秘密で会う間柄だった。慣例に反して訪中し、外務省の付け人を外して会談したことがあり、外務省は頭を抱えた。
「相手の嫌がることをしない」というのは日本人の持つ徳目の一つだが、国際的には大欠点でもある。中国にも「己の欲せざるところ、人に施すなかれ」という論語の一説があるから、福田氏は日中に共通する徳目だと認識しているのだろう。仁、義、礼、智、信といった倫理観について、日本人は儒教の徳目だと考えてきたが、中国の儒教は全く違う。中国を初めて統一したのは秦の始皇帝で国教を道教とした。しかし秦は15年で滅びて漢王朝が引き継ぐと国教を儒教とした。日本人が学んでいるのは春秋戦国時代の孔子、孟子らの儒教で、漢が平定して以来の儒教は日本人が徳目とした儒教とは全く違う。
日本人は「水に落ちた犬は打て」とは思わない。惻隠の情とか忍耐という言葉は我々日本人が目指す徳目だが、評論家の石平氏によると日本人の持っている徳目は武士道であって、儒教ではないという。儒教が日本に入ってきたのは江戸時代で、その時点では既に日本社会には武士道は行き渡っていた。
石平氏は、今は日本人だが北京大学哲学科を出た秀才だ。儒教を知らないはずがない。
戦国時代を通じて武士道は全国に行き渡り、そこにたまたま入ってきた儒教のいいとこ取りをして、社会の序列作りに役立てた。儒教は韓国に入って両班(貴族)政治の根拠となった。日韓両国民の常識の違いを見れば、石平氏の儒教の解釈が正しいものとわかる。日本の道徳は武士道から来た。中国に下手に遜(へりくだ)ってはいけないのである。
(平成29年8月30日付静岡新聞『論壇』より転載)