「代表交代で同じ轍を踏む?民進党」
―民共共闘を止めなければ政権政党にはなれない―

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会長・政治評論家 屋山太郎

 溶解寸前の民進党が前原誠司氏の代表就任によって、かろうじて踏みとどまった感がある。代表選挙に当たって8票の無効票が出たことが、出るか残るか迷っている議員心理を物語っている。前原氏が枝野幸男氏を代表代行に据えたのは挙党一致を願ってのことだろうが、これが裏目に出たようだ。蓮舫氏選出の直後は56.9%もの人が期待を示したが、今回、共同通信社の調査では前原氏に「期待する」は40.3%に過ぎず「期待しない」が51.2%と上回った。
 国会議員票で前原氏が圧勝したのは、日頃の前原氏の共産党に対する考え方に共感する議員が多かったせいだろう。前身の民主党時代から民進党は常に共産党とどう付き合うかで党内抗争を重ねてきた。それ以前、社会党も常に共産党と組むかどうかで、左派、右派が対立し、「絶対に嫌だ」という派は党を飛び出して「民社党」を結成した。民社党の外交史観は自民党よりタカ派だった。
 安倍晋三氏によって一強多弱という政界状況が生まれた。その安倍氏は加計問題、日報問題で内閣支持率を10%程度落とした。党・内閣の改造人事によって支持率は8分通り取り返したが、不思議だったのは支持率が10%も下がったのに、その間、民進党の支持率に殆ど変化がなかったことだ。
 民主党3年半の悪い業績で、国民から見放されたといって済む話ではない。小選挙区制度は二大政党を形成し、政権交代を可能にする制度なのである。形勢を挽回できないのは、野党民主党の側に責任がある。
 まずご先祖の社会党から民主党、民進党と続く野党の目的は、議会の3分の1を占めて「憲法改正をやらせない」というものだった。そこには「政権をとったら、こういう政治をしよう」という真摯な態度が全く見られなかった。自民党が分裂したスキに自・社・さの連立内閣ができ、その後、民主党の単独内閣もできた。しかし政権の準備ということをしたことがないから、日米の安保関係も危うくした。まさに国を危うくしたのである。
 岡田克也元代表や枝野幸男元官房長官が「安倍首相の下では憲法改正はしない」という。この理屈は子供じみている。これでは大昔の社会党時代と全く変わらないではないか。この改憲反対のイデオロギーで社会党は共産党と常に“共闘”を組んできた。社会党はまがりなりにも民主主義政党であった。共産党は民主集中制と呼ばれる独裁方式である。社共共闘で天下をとった暁には、独裁党首の方が、党内を気にしなければならない社会党首より遥かに強い立場だ。ルーマニアもハンガリーもこのやり方で天下をとり、結局は共産党独裁になった。
 前原氏がかねて共産党を「シロアリ」と断じてきたのは、共産党の教義や歴史を熟知しているからだ。「社会主義インター」は共産党と組むことを禁じている。国政の場での民共共闘を止め、「審議にも反対」の態度を止め、ヨーロッパの政党並みになってこそ政権に近付く。
(平成29年9月6日付静岡新聞『論壇』より転載)