民主主義の基本は「自由選挙」である。民意によって選ばれた政府は、付託に応えるべく公約した政策の実現に全力を注ぐ。国民(有権者)は次の選挙でその実績を評価し、審判を下す。公約を果たせなかった政府は下野し、新たに国民の信を得た政府が登場する。政党政治を基礎とする近代民主主義はこうした政治サイクルを前提に成り立っている。
しかし、最近の世界的な政治風潮を観察していると、ある種の「制度疲労」というか、民主主義制度そのものの欠陥が顕在化してきているように思われてならない。政治家は職業化し、当選することが最優先になる。違法でなければ手段を問わない。政党の選挙公約は受け狙いとなり、実現性は顧慮されない。「選挙民は公約などいずれ忘れる」とタカをくくっている。メディアは中立公正な立場から有権者に必要かつ十分な情報を提供するという役割を果たせず、自ら偏向する。選挙の成り行きは、正体不明の「風」に左右され、そこにポピュリズム(大衆迎合主義)が入り込む余地が生まれる。
「風」は選挙民の心の中に政治への不満・不信、鬱屈した気分が蓄積した時に(国民受けする扇動者が登場すると)吹く。ポピュリズムは選挙詐術として政党が吹かせる。いずれも、有権者から冷静な判断力を奪い、政治をゆがめる点で同じ性質を持つ。これが繰り返されれば、民主主義は劣化し、やがて危機を迎える。
「民主主義は最良の政治制度ではないかも知れないが、他の如何なる制度よりもましである」と言った偉人がいる。今、民主主義を守るのは政治家ではなく有権者である。政治家は選挙に勝つためには何でもする。政党の公約も選挙に勝つことを唯一の目的として作られる。選挙とはそういうものであり、そのことを責めても始まらない。私たちはそうした時代に生きており、有権者が賢くなるしか民主主義を守る方法はない。
では、どうすれば「賢く」なれるのか。一言で言えば、「自国が現在置かれている内外状況と克服すべき課題」について知識を深め、嘘を見抜く目を養い、自らの政治感覚を鋭くすることに尽きる。とは言え、「風」やポピュリズムは実に手強く、有権者の判断を巧妙に惑わす。そこで投票態度決定にあたっては以下の3点に注意したい。
➊メディアや友人・知人がもてはやす政党・候補者から一旦距離を置き、軽々に同調しない。自分は自分と考える。劇場型政治の「パフォーマンス」には関心を向けない。
➋他党を批判し、その政策に反対するだけで自己の政策(現実的な対案)を示さない政党・候補者は支持しない。(「・・政治を終わらせる」、「・・1強支配打破」といったスローガンも同類である。打破し、終わらせた後に何が来るのかこそを語るべし。)
➌「絵にかいた餅」のような理想(一般受けを狙った空論)のみを語り、実現の方途(財源確保など)が曖昧な発言は「プロパガンダ」であり、信用しない(信用すれば必ず裏切られる)。「うまい話」には必ず裏(嘘)があると心得るべし。「言うは易く、行うは・・」が政権担当実務の世界である。
以上の3点に加えて、言いたいことがさらに3つある。
1つは、実績のない政党や経歴のあやしげな候補者(「風」に乗って当選しようとする者)を軽々に支持しないこと。支持すべき政党・候補者がいない場合は「白票」(政治批判を含意する)も止むを得ない。棄権はすべきでない。
2つ目は、選挙目当てで離合集散する政党・候補者を信用しない。思想信条が異なる政治家を糾合し、野合する政党が政権をとれば重要な局面で必ず混乱し、いずれ分裂する。
3つ目は、有権者が自己の都合、私利私欲ではなく、「国の将来、国民の生活にとって何が良いのか」という広い視野から投票態度を決めなければならないこと。これは難しいことだが、しかし、ポピュリズムは私利私欲の間隙に入り込んでくると心得ておく必要がある。
とにかく、選挙の時に吹く「風」とポピュリズムはウィルス(細菌)のようなもので、これに罹ると民主主義の体力は落ち、死に至る病となる。有権者の賢明な判断のみが民主主義を守る唯一の対処法である。これは私自身の自戒の弁でもある。