フィリピンにドゥテルテ政権が誕生して早1年半になる。同大統領は選挙期間中からの過激な発言と乱暴な政治スタイルで「フィリピンのトランプ」などとも呼ばれているが、先般はASEAN首脳会議や東アジアサミットの議長役を無難にこなすなど、だいぶ「普通の政治家」らしくなりつつある。日本への2度にわたる公式訪問では背広・ネクタイを一応は着用していたし、2017年10月に実現した天皇皇后両陛下とのご会見でも(周囲の懸念をよそに?)だいぶ行儀よく振舞った。
外交面では前政権とうってかわって中国寄りの姿勢を鮮明にしている。南シナ海問題は棚上げし、中国から多額の投資・経済援助と武器の供与を受ける「実利外交」を展開している。他方、米国との関係では当初こそミンダナオ島に駐留する米軍の撤退を求めるなど反米的な動きを見せたが、アブ・サヤフなどのイスラム過激派との闘いでは米軍の支援をあおぐなど、一定の軌道修正が図られている。
全く変わっていないのはいわゆる「麻薬戦争」における超法規的な殺人指令の連発である。大統領就任直後の1ヵ月で1800人、この1年半で11000人の麻薬犯が(裁判にかけられることなく)逮捕の現場で射殺されているというから驚きである。国連や欧米諸国、人権NGOなどからは厳しい非難を受けているが、当の大統領本人は全く気にかけている様子がない。むしろ、フィリピン国民の圧倒的な支持を背景に「麻薬戦争」はますます熾烈になっている。ドゥテルテ大統領は大学時代にロースクールで学んでいるから決して法律の素養がないわけではないが、ダバオ市長として6期22年間勤め、この間に奇跡的な治安回復を実現したことが同大統領の政治家としての最大の「売り」である以上、このスタイルは変わらないだろう。
フィリピンは貧富の格差がとりわけ大きいことで知られる。国際基準の「極度の貧困」率(一日当たり1.9ドル以下で生活する人の割合)でみると国民人口の25%(4人に一人)がこれに該当する。一人当たりのGDPではベトナムやカンボジアよりずっと高いが、これら両国の「極度の貧困」率は17%程度だから、フィリピンにおける貧困問題がいかに深刻かがわかる。貧困の地域格差も大きい。首都マニラ圏の貧困率は4%以下だが、南部ミンダナオにはこれが70%を超える州もある。富はマニラ首都圏とその周辺州の富裕層に集中し、いわゆる「中間層」すら他の東南アジア諸国に比べれば十分に発達しているとは言えない。
歴代政権も貧困問題の克服に取り組まなかったわけではない。しかし、経済成長が1~2%という時期が長く続いたため、対策推進の財源が不足した。こうした状況に変化が出てきたのはベニグノ・アキノ政権(2010~16年)の後半からである。伝統的に製造業が弱く、生産性の低いサービス産業が経済の中核を担ってきたが、外資の導入で製造業が発展し始めた上、ICT関連産業とりわけコール・センターなどのBPO産業ににわかに国際的注目が集まり出して状況を一変させつつある。国民人口が1億人を超え、その平均年齢が23~24歳という若さもこれら産業にとっては魅力である。今やフィリピンのGDP成長率は6~7%に達し、東南アジアで最も経済成長の著しい国になっている。ドゥテルテ政権にとっては追い風であり、貧困克服への道が開かれようとしている。
タイの軍事政権や最近のミャンマー情勢を見るまでもなく、東南アジアの民主主義は欧米のそれとは大きく異なる。(ベトナムなどの社会主義国を除き)自由選挙と民主的な政治制度は一応あるが、その運用の実態が違う。汚職腐敗は総じて蔓延しており、独裁的な政権運営も一定程度許容されている。要は、政治的安定と治安の回復、経済の発展をはかることで国民の生活を改善できれば政権は支持を受け続けるのである。東南アジアで政権交代が起こるのは時の政権が私利私欲に走り、特権階級の既得権のみを擁護し、一般国民の生活苦、不利益を顧みない場合である。民主主義が健全に運営され、人権が尊重されているか否かは二の次である。「富の再分配」こそが東南アジア的民主主義の基礎を成す。この意味では、ドゥテルテ大統領は、フィリピン政治史上まれにみる「立派な指導者」と言えるのかも知れない。