安倍首相は憲法改正に向けて世論を盛り上げようと懸命だが、世論の動きは鈍いようだ。安倍氏の在任中に、憲法改正が行われなければ、改正の動きは霧消しかねない。
先日、日本共産党が駅前で「憲法改正反対」と叫んでいた。私にビラを渡すので「私は改正賛成ですよ。北朝鮮に攻められたらどうするの」と聞いてみた。「今のままでも自衛隊は存続できるのですよ。わざわざ憲法改正しなくても」と言うので、「それなら名誉を与えるためだけでも憲法改正する意味があるじゃないの」と言うと、黙ってしまった。
日本共産党が戦後、非武装を唱えていたのは中ソ勢力と組んで、日本を共産化するのに好都合だったからだろう。新憲法制定の際の国会論議で、共産党の野坂参三氏が「非武装などという国家があるか」と吉田茂首相を突き上げた史実がある。後に非武装路線で定着した理由は「革命を起こし易い」というものだったろう。
恥ずかしいことだが、西側の共産党はコミンテルン(国際共産主義運動)の流れを汲んでいるから、非武装は全世界共通の認識だと思い込んでいたが、60年代にイタリアに赴任してびっくり仰天したことがある。当時、私が勤めていた時事通信社の社長は長谷川才次という保守言論界の重鎮で、出発前「君がローマに行って見張るべきはただ一点。イタリア共産党だ」と言う。イタリア共産党は西側最大。選挙では常に3分の1の議席を占める。反共産党陣営が4党も5党も集まって政権を作り、共産党の政権獲りを防いでいた。
イタリア共産党を目の当たりに見て驚いたのは、共産党がイタリア軍を認めているばかりか、NATO(北大西洋条約機構)への参加にも賛成だったことだ。日本共産党は社民党と共に非武装と日米安保反対を未だに続けているが、その根拠は何なのか。
共産党の藤野保史政策委員長は、テレビの討論番組で防衛予算を「人を殺すための予算」と述べて、政策委員長を更迭されたが、あれは常日頃使っている“社内用語”がつい出てしまったのだろう。民主党政権時代、仙石由人官房長官は自衛隊を「暴力装置」と述べて陳謝した。日本の左翼陣営が防衛力を持ったこと自体にアレルギーを示すのは何故だろう。
マスコミを目指す学生から、よく「作文の練習をみてくれ」と頼まれるのだが、時に不思議な発想にお目にかかる。スペインに旅行した青年が「日本は平和でいい」という感想を書いた。「スペインは街角に兵隊が立っていて不穏だ」と言う。日本人を象徴する発想で社会分析が安易すぎるのだ。自衛隊員が制服で街に出ないように、防衛省は指導している。イラク復興支援に行った先遣隊は、制服で防衛庁(当時)を出て、成田空港に向かうバスの中で背広に着替えた。「制服着用を遠慮して欲しい」と空港当局に言われたからだという。こういう余計な配慮が、国民の常識を歪めているのではないか。
(平成30年2月7日付静岡新聞『論壇』より転載)