「森友問題で『悪魔の証明』を迫る野党議員の愚かさ」
―証人喚問は人民裁判ではない―

.

会長・政治評論家 屋山太郎

 「森友問題」をめぐる国会の議論は空しかったとしか言いようがない。朝日新聞や野党はまだ片付いていないと主張しているが、国会で解明するべき問題はもう存在していないと断じていい。
 騒ぎの筋書きは「森友学園が安倍昭恵氏の力を借りて、国有地を格安で払い下げさせた」というものである。確かに当初9億円といっていた土地が最終的に1億3400万円で売却されたというのは、怪しい。しかし東側にある豊中市の野田中央公園も同様の大阪航空局の所有地だった。ここは14億2300万円のところを最終的に2000万円で豊中市に売っている。ここも瓦礫の処理のために補助金や交付金が投じられ二束三文で売られた。
 森友のケースがおかしいとすれば、浮いた8億円のうちのいくらかが政治献金されたとか、昭恵夫人が戴いたということならこれは犯罪だ。国会で野党議員が「昭恵夫人が関与しなかったことを証明せよ」と言っていたが、この議員はバカである。ないことの証明を求めるのは「悪魔の証明」といって議論マナーの反則である。共産党の小池晃参院幹事長はなお昭恵夫人の喚問を求めている。呼び出して「無いことを証明しろ」というつもりだろうか。こういうやり方は人民裁判の考え方だ。
 佐川宣寿前国税庁長官を呼んで「改竄」の理由や動機を尋問していたが、「忙しくて寝る暇もなかった」から、要らないと思ったものを省いてしまったということだろう。機微にわたっては目下、大阪地裁が捜査中だから答えられない」というのも当たり前だ。これまで国会での証人喚問は全部失敗している。犯罪の可能性があり、捜査当局が始動しているのであれば司(つかさ)に委ねるべきだ。人民裁判など見たくない。
 今回の喚問問題で、安倍内閣の支持率が10ポイントほど下がった。料亭の政界通の女将は、政治家の夫人は選挙区を廻るとか地元の面倒を見るもの。昭恵夫人は表に出て来すぎて反感を買っていると分析する。
 確かに旧弊な考え方や無難な生き方をしようとする人はそれでいいだろう。しかしこれだけ価値の多様化の時代に、しかも女性の社会進出を進めている時代に、一律に旧来の習慣でやれと叩くのはどうか。安倍内閣ができて、首相が夫人と手をつないで航空機のタラップを下りてくる様を見た時は、新しい時代が来たなぁと感慨深く眺めたものである。人には独自のやり方があっていい。
 社会福祉事業や教育に関心があれば、手伝いに出て行くことこそ、新しい政治家の妻の姿ではないか。教育団体や学校が昭恵夫人を名誉校長に迎えたいのは、「私のところは日教組系や偏向教育ではありませんよ」と宣伝したいからである。それだけ国民は学校現場に不信感を持っている。自民党議員が公立小学校で行う前川喜平元文科省次官の講演内容を知りたがっているのは不思議ではない。どういう思想の持主なのか、私も知りたい。
(平成30年4月4日付静岡新聞『論壇』より転載)