日本で大学紛争の嵐が荒れ狂ったのは1968-69年で、東大のいわゆる「安田講堂事件」が起こったのは69年1月のことである。そのあおりで同年の入学試験が中止になるという前代未聞の椿事にまで発展した。私自身、受験勉強をしていた真っ最中の出来事であったので当時のことは良く覚えている。
この紛争の先駆けとなったのがフランスでの騒擾であり、同国で「68年5月」と言えばパリ大学ナンテール校を震源地として全国に波及した大学紛争のことを指す。今年5月はあの時から数えてちょうど50年目になる。その50年目に当たる今、同じナンテール校で、再び学生たちの大規模なデモが行われているのは偶然ではない。
フランスの大学における入学の仕組みは日本とはだいぶ事情が異なる。日本では進学希望の大学に合格することを目指して必死に受験勉強するわけだが、フランスの場合は、バカロレアという大学入学資格試験さえパスすれば、「誰が、どこの大学の、どの学部に入学しても良い」という制度になっている。
このバカロレアは、50~60年前は高卒者の5%くらいの優秀な生徒だけが受験する「人生の重要関門」であったが、今では、高卒予定者のほぼ全員が受験し、しかも80%近い受験生が合格している。しかも、これらの合格者は全国どこの大学に入学しても良いので、いきおい優良大学の人気学部に学生が殺到することになる。授業は大教室で行われ、学生一人ひとりに注意が払われることはない。
パリ大学のような国立大学の財政の大半は国費によって賄われている。授業料(全学平均で年間25000円)は極端に安く、米国や英国などの大学授業料と比較すれば100分の1に近い。日本と比べても30分の1以下である。これでは、いくら学生の数が増えても大学側の収入はさほど増えず、逆に国側の負担は増大の一途をたどるばかりである。
こうした状況に、改革派のマクロン大統領が拱手傍観するわけがない。政府の念頭にあるのは「学生の選別」だろうが、露骨な選別は違法行為になりかねず学生側の強い反発も予想されるので、まずは本授業を理解できるレベルに学生を引き上げる「予備授業」を導入してはどうかという提案を行っている。しかし、学生側は、これは(予備授業で不成績の者に本授業の受講を認めないという意味で)選別に向けた第一歩ではないかと疑っている。高校時代の成績へのアクセスを可能にする措置にも反発している。ナンテール校の学生デモはその表れである。
ナンテール校は1960年代にソルボンヌ大学の分校として創立された文系の名門大学である。1970年にはパリ第10大学として独立しており、卒業生にはサルコジ元大統領やヴィルパン元首相、またIMFのストラス・カーン前専務理事やラガルド現専務理事など錚々たる政治家が名を連ねている。しかし、今や、優秀な学生の入学は少ないようで、国際的な評価も大きく低下している。卒業生の一人であるマクロン現大統領の危機感が強まるのは当然であろう。
事実、ナンテール校に限らずフランスの大学全般に対する国際的な評価の凋落は著しい。タイムズ・ハイヤー・エデュケーションによる世界大学ランキング(2017-18)によれば、かつて名門大学の誉れが高かったソルボンヌ大学は、今や、パリ校(第四大学)が351-400番目(九州大学と同レベル)、パンテオン校(第一大学)が401-500番目(筑波大学、首都大学東京と同レベル)にランクされている。教員一人当たりの学生数が圧倒的に多く、しかも学生の過半を女子学生が占める。優秀な学生の中には、フランスのマンモス大学を避けて、外国の名門大学に留学する者が増えているという。
フランスの大学改革はどこに向かうのか。入学段階で「狭き門」に出来ないのであれば、進級を更に厳しくして「出口」を狭めるしかないが、これでは国費の浪費は続くし、退学を余儀なくされる多くの学生(現状で全学生の約70%)にとって人生の大事な時を無駄に過ごす結果にならないか。バカロレアを難しくして合格者の数を減らすとか、授業料を大幅に引き上げる(優秀な学生には奨学金を提供する)とかの工夫があっても良いかも知れない。そうでなければ、大学は高校の延長と割り切り、大学院大学(グランゼコール)の段階で選別を行い、エリート教育を施すしかないだろう。
我が日本は、「名門」といわれる一部の大学を除き、入り口も出口も広い。少子化が進めばさらにこの傾向が強まるだろう。しかも、「名門」といわれる大学ですらその国際的な評価は下がる一方であり、これからは中国や韓国、シンガポールの大学に「追いつき、追い越せ」の時代になりかねない。フランスの大学事情は他人事ではないのではないか。