日 時:平成29年7月25日
報告者:西元徹也 氏(元陸上幕僚長・元統合幕僚会議議長)
<報告の要点>
〇 自衛隊のPKO活動の実績と成果の概要
- ・PKO法が成立してから25年、カンボジアから南スーダンまで14の活動を実施してきた。延べ12,219名+UNMISS司令部要員33名の隊員が参加してきた。
- ・私は、カンボジア、モザンビーク、ルワンダ、ゴランの各活動に関わり、ハイチ安定化ミッションには防衛大臣補佐官として関与した。
〇 国連PKO参加のための膨大な準備と教訓
- ・平成4年6月の国際平和協力法の制定後、カンボジアへの派遣は9月半ば以降と想定し、フライングは覚悟の上で参加のための部隊の編成、要員の選定指名、訓練や膨大な装備品等の輸送等の準備に着手した。
- ・この処置により長官の派遣準備指示から派遣命令までの1ヵ月の間に、装備品の輸送準備、UNマークの塗装、管理換の処置等を完了した。
- ・この当時PKO派遣「別組織論」があったが、この大物量輸送作戦を完遂できるのは、自衛隊の総力を結集した組織力によってのみ可能であると確信した。
〇 国連PKO活動における文民保護
- ・カンボジア派遣当時、選挙監視員を防護するための法的枠組みはなかった。自衛隊員には武器を携行させ、自らの身を晒す人間の盾になるべく行動するよう指導した。
- ・このことは、今でも心の痛む思いである。後年、自ら選挙監視に赴いたり、地雷処理を支援する会に関わったのは罪滅ぼしのためである。
- ・自ら起案した「選挙監視員に対する一般的支援」を現地指揮官に示して実行させたが、現在でも当時としてでき得る最大の止むを得ぬ施策であったと認識している。
- ・一人の犠牲者も出さず無事に最初の総選挙を成功裏に終了できたのは、陸幕と現地が一体となったことや、現地住民を味方にできたのもその要因である。在日本大使館、文民警察、州政府と連携したのも良かった。
- ・UNTAC司令部は当初日本隊に不信感を持っていた。しかし、自衛隊が行動している枠組みを理解した後は、日本隊に対する司令部の信頼を勝ち得て、爾後の活動の円滑化に寄与した。
〇 実施計画の硬直性
- ・施設大隊、停戦監視要員も実施計画・業務の硬直性に悩まされていた。同計画等の範囲外のことは全て本国政府の了解を必要としていた。これでは緊急時の対応が生じた場合、軍事行動の最重要要素である適時性を欠くことになると危惧した。
- ・ 「こういうことだけは、やってはいけない」とネガティブリストで規定してあれば良いが、全てポジティブリストであった。
〇 今後の活動の方向性
- ・国家安全保障戦略では、国際平和協力業務を積極かつ多層的に推進していくとされた。今後自衛隊の協力の態様についてより深い検討が必要である。
- ・このため、自衛隊の蓄積した経験と施設分野における高度な能力を活用した活動を積極的に実施するとともに、現地司令部の責任ある職域、例えば、幕僚長、作戦部長を始めとする主要部長等、できれば司令官への自衛官の派遣の拡大が必要である。
- ・平和安全法制によりPKOの第5原則は変更されたが、第1~4原則は全く変わっていない。変わっていないどころか厳格に守るとされた。見直しが必要である。
- ・「現に戦闘行為が行われている現場」以外での後方支援は認められた。これが「武力行使との一体化」を前提としたことには懸念が残る。
- ・今回「国家又は国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場しないことを確保した上で、駆け付け警護及び任務遂行のための武器使用を認めた。安保法制懇での提言とは未だ乖離している。
- ・PKF参加凍結は解除された。しかし、国連編制表の歩兵大隊の目的と任務を達成するには、未だ活動が限定されており、国連は断ってくるだろう。
- ・自衛隊の成果は、安全な地域での活動と、列国軍隊とは異なる規律厳正、誠実謙虚を旨とする自衛隊を現地の人が受け入れ、現地司令部の信用を勝ち得たことの微妙なバランスの上で達成されたものである。果たしてこのままで良いのだろうか。
- ・自衛隊の部隊・隊員の武器使用に係るリスクを軽減するため、「自衛隊が万が一やむを得ない場合は武器を使用すること」を容認する覚悟を持って欲しい。
- ・「国際平和協力に関する一般法(恒久法)」の制定を検討して欲しい。