7年間のシリア内戦がもたらした未曽有の惨禍

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顧問・元ベトナム・ベルギー国駐箚特命全権大使 坂場三男

 7年以上続いて来たシリアの内戦が「アサド政権の勝利」という形で終息に近付いている。2011年3月に発生したシリアでの「アラブの春」はアサド政権による民主化運動弾圧を招き、半年後には政府軍と反政府武装勢力との間の果てしない戦闘に発展した。今、アサド政権は国土の大半を抑え、これら武装勢力は北部と南部の狭い国境周辺地域に追いつめられている。
 7年の内戦は多くの都市を廃墟にした。かつて320万人が住んでいた北部最大の都市アレッポは今や200万人以下にまで人口が減少しているという。シリア全土で見れば、戦争の犠牲者は数十万人(一説に約50万人)、国内には650万人の避難民が溢れる。国外に逃げた難民は620万人(トルコに滞留する難民だけで360万人)に上り、この数は今年に入っても増え続けている。これらの合計数は実にシリアの国民人口の半数を上回る。21世紀に入って最大の悲劇と言ってよい。
 シリアの「内戦」は純粋な国内紛争ではない。アサド政権側にはロシアとイラン(及び中国)がつき、反政府武装勢力の後ろにはサウジアラビア・カタールやトルコなどがいる。欧米諸国はアサド政権による化学兵器使用を含む人道に悖る暴虐行為を非難し、米国・フランスを中心に消極的ながら反政府勢力を支援している。こうした「国際紛争」としての混迷した様相が戦争終結を一層難しくしてきた。
 宗教対立という視点から見ると、アラウィ―派のアサド政権は少数シーア派を支持基盤とし、多数派のスンニ派と対立する構図になっている。事実、犠牲者・難民の多くがスンニ派のイスラム教徒である。ここに、シーア派のイランとスンニ派のサウジアラビア・カタールやトルコが介入する理由がある。しかし、シリアには200万人近いキリスト教徒がおり、彼らはスンニ派の過激思想を嫌い、アサド政権を支持する立場をとっている。150万人ほどのクルド人も(その多くがスンニ派に近いヤズディ教徒だが)トルコやイスラム過激派との対抗上、アサド政権との対立を控えている。状況は何とも複雑である。
 欧米諸国にとって悩ましいのは、まさに、この反政府勢力の中にアルカイーダやIS系の過激武装組織が入り込み、やがてその中核を成すまでに至ったことである。一時期、これら欧米諸国は反政府勢力を軍事的に支援する動きを見せたが、武器・弾薬が過激武装組織の手に渡る危険が高く、本格的な支援に踏み切れない。隣国イラクの北部国境でIS掃討作戦が展開されている折に、(間接的とは言え)シリアでIS集団を支援する訳には行かないのである。キリスト教徒がアサド政権側についているというジレンマもある。
 アサド政権が軍事的優位を確保し始めたのは2015年9月のロシアによる本格的な軍事介入以降である。反政府勢力の拠点は次々に失われ、残っているのはトルコが支えている北部国境地帯とISの拠点に近いイラク国境沿いの町や村に限定されている。昨今、欧米メディアでも、反政府勢力は「反乱軍」と呼ばれ、その実態を反映して、テロリスト・グループあるいはジハ―ディスト集団扱いされている。事実、シリアの人々の多くはうち続く戦争による破壊と殺りくに倦み、平和な生活を渇望するようになっている。身の安全が第一で、「自由と民主主義を求めるのは贅沢が過ぎる」との声も聞かれる。この声に国際社会も共感しつつある。イスラム過激派の影響力拡大よりはアサド政権の強権政治の方がまだましということか。
 紛争終結が近付くにつれ勝利を確信したアサド政権はロシアやイランによる過度な介入・干渉に距離を置き始めているようだ。イランは今でも8万人の兵力をシリア内に送り込んでおり、撤収を拒んでいる。欧米諸国もアサド政権崩壊の可能性が消滅しつつある中、難民の更なる流出(先月末時点で83万人以上のシリア難民が欧州にいる)を阻止すべく、シリア国内の安定化、すなわちアサド政権による支配と難民の帰還、を優先する方向に舵を切り始めているのではないか。今後、仮に「国民対話プロセス」(いわゆる「ジュネーブ・プロセス」)が再開されてもアサド政権主導で進むだろう。
 かつてのシリアは宗派差別のない平和で繁栄した国だった。今、外国勢力が介入を止めイスラム過激派勢力が駆逐されて、アサド政権が宗派間の無差別と難民の安全な帰還を保障すれば、「シリア問題」はひとまず解決に向かう。国連による調停の出番であるが、7年間の戦争がもたらした物心両面での大きな傷を癒すのは容易ではないだろう。シリアの昨年のGDPは紛争前の5分の1に激減し、国土再建に要する費用はGDPの20年分を超えるという試算もある。この未曽有の惨禍を歴史はどう評価するのか。何ともやりきれない思いがする。