第6回 平和安全法制研究会 報告概要

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お知らせ JFSS事務局

日 時:平成29年11月8日
報告者:岩田清文 氏(元陸上幕僚長)



<報告の要点>

 〇 はじめに
   私は、現場で隊員を派遣した立場での気持ちを述べたい。内容としては変遷、現状、課題そして今後の方向性について一案を述べたい。

 〇 変遷
  • ・PKOの変革を見せたのはソマリアミッションである。平和執行型への変化である。
  • ・米陸軍大学留学中の1993年、ソマリアにおける米軍兵士に対する残虐な行為に対し、学生達は国連PKOに失望し、また当時の米軍教官は常に「PKOとは何ぞや」という問いかけをしていた。私は、「PKOは軍がやる仕事ではない。しかし軍にしかできない仕事である」と答えた。また、PKOは軍にしかできない仕事ではあるが、「武力行使に長けた軍でなければできない仕事でもある」と認識した。
  • ・カンボジア派遣第2次大隊長であった石下隊長は現地において国内法の制約と現場の状況の狭間に立たされていた。しかし、不測の事態の時は、隊員と日本人の生命を守るために指揮官としてやるべきことをやるし、やらなければならないという緊張感と恐怖感があったと思う。
  • 何かあった場合には法廷闘争も辞さない覚悟であったと思う。
  • ・ルワンダ派遣当時、ゴマ近くで邦人が乗った車が拉致されそうになった。今でいう駆け付け警護の先例であるが、何もできなかった。
  • ・ゴラン高原、この時の課題は宿営地の共同防護の問題である。同じ宿営地で任務を遂行するカナダ隊等と共に警備に関する図上検討を行っていた際、カナダ隊が狙われ危険な状況において、陸自を狙っていない敵に対し、積極的に陸自が撃てないということを言及すると、カナダ隊より激しい突き上げがあったそうだ。現在は、この点は平和安全法制で改善をみた課題である。
  • ・シリア情勢の変化で安全といわれたゴランPKOも変化した。ゴラン高原のシリア側では安全確保が厳しい状況に直面していた頃、私はジュバでの現地確認終了後、ゴラン高原に移動し、ゴランPKO司令官に面談した。シリア側にも物資を輸送している日本の輸送隊が危険にさらされる可能性が予測されたため、この任務をシリアの民間業者に委託するよう、当時の司令官であるフィリピン人少将に掛け合った。日本のPKOに対する考え方、法制の枠組み等、日本の国内事情を説明し、理解してもらえた。その結果、シリア国内での輸送は、国連が契約した民間業者による物資の輸送を担うこととなった。その頃、ダマスカス空港へ移動中のオランダ隊が攻撃を受け死傷者を出すなど、シリア側では緊張状態が続いたが、日本隊は司令官の配慮により難を逃れた。その後、フィリピンの司令官が交代しインドの中将が司令官に着任した。この司令官は、日本だけが優遇されていることを良しとせず、また日本の国内事情も受け入れてもらえなかった。
  • このような状況では、日本として意義ある活動ができないと判断し、森本大臣の命により撤収した。
  • ・「PKO学校」と呼ばれたゴラン高原でさえ、急激に不安定になり、上記のような状況になる。このような状況急変時において、どのようにPKOに取り組んでいくのかという国家の姿勢は、常に国際世論から見られている。
  • ・東ティモールのPKOでは、邦人が経営するレストランから賊に囲まれたとの救助願いがあった。当時の日本隊の指揮官である施設群長は、たまたま休暇で外出中であった隊員を呼び戻すという名目で現場に赴き、邦人を保護した。
  • 法制が整備されていない中、指揮官はその場その場で自己の責任による判断で法制の隙間を切り抜けてきたのが実情である。
  • ・ジュバでは2016年の秋、大統領派と副大統領派との間に紛争があつた。これはPKO参加5原則に示された「戦闘状態」ではないが、教範(陸上自衛隊の教育訓練用に書かれた教科書)的には一般的にいう「戦闘」であった。この部分はなかなか一般の方には理解してもらえないが・・・。
  • ・当時のジュバの状況を鑑みても、今回の南スーダンからの撤退の判断は英断だったと思う。
  • 一方で撤収ということに関しては、自衛隊の関係者のほとんどの者が聞かされていなかったと聞いている。どのようなプロセスが踏まれたのかは分からないが、ほとんどの現場指揮官が知らされていない状態においての撤収は、統率上の観点から今後検討の余地があるだろう。

〇 現状
  • ・アフリカ施設部隊早期展開プロジェクト(ARDEC)の悩みは、PKO部隊派遣の必要性が発生しても、時期的ニーズに応えられないことにある。このため、平素からアフリカ諸国の兵士たちを教育しておき、必要時に早期に派遣するとのアイデアが日本政府と国連で議論され実行に移された。
  • ・プロジェクトの実績としては、試行訓練として2015年9~10月、東アフリカ4ヵ国の施設要員10名に対し、翌2016年には第1回目の訓練として6月と10月にケニア国軍施設要員約60名に対し、今年は5月と7月にタンザニア国軍の施設要員約30名に訓練を実施した。
  • ・このプロジェクトの狙いは、近年の国連PKOにおいては、装備品(重機)やそれを操作可能な要員が不足していることが深刻な問題となっており、この解決施策として打ち出したものである。
  • ・少しでも早くPKO部隊を展開させるための施策の一つとして我が国が提案したこのプロジェクトは国連から高い評価を得ている。
  • ・能力構築支援、この事業は我が国が有する能力を活用し、他国の能力を向上させることにより、国際安全保障環境の安定化・改善を図り、ひいては我が国の安全の確保を図ることにある。東南アジア12ヵ国を中心に実施しているが、支援事業内容は、道路構築、衛生、人道支援、車両整備、飛行安全、潜水医学等である。
  • ・この事業は3ヵ年計画で実施しているが、モンゴル、ベトナム、カンボジアからはもっと期間を延ばしてくれとの要望があり、継続して実施している。特にベトナムは工兵大隊としての能力はあるものの、PKO派遣のノウハウがないということで、ニューヨークでの国連との調整や、ジュバにおいて日本隊の活動の見取り稽古なども含め支援してきた。
  • ・東南アジアからのPKO貢献国を増やすことは、国連からも非常に評価されている。
  • ・PKOに関する国内の教育訓練は、専門部隊である国際活動教育隊により、平素からの要員教育や、派遣前の部隊等の訓練を駒門駐屯地において実施している。陸自全体としての派遣態勢は、政府からの指示があれば、数ヵ月で1個隊の派遣ができる態勢にある。従来、派遣の決定があって初めて派遣準備を行い、派遣するという形態をとっていた。しかし、これでは時期に間に合わないということで、派遣までの準備期間の短縮を狙いとして、準備対象部隊を指定し平素からの準備を促進させている。
  • ・もう一つ重要な点は、井の中の蛙になってはいけないということである。その一つとして多国間訓練「カーン・クエスト」に参加させている。この訓練では隊員たちの教育や最先端のノウハウを学ぶことができる上、参加国との相互理解や信頼関係の強化も図ることができる。「カーン・クエスト」は、米軍とモンゴル軍が主催し、モンゴルにおいて実施する活動で、年々参加国が増えており、現在は27ヵ国、約1000名が参加している。 

〇 総括
  • ・日本として約25年間、国際社会の平和と安定に一定の貢献と成果を収めてきたものと思う。国連による工兵マニュアルの見直しがあり、日本に対しマニュアル作成をリードするよう依頼された。一部の機能においてはPKO先進国に成長した証でもある。またPKO先進国として、ARDEC及び能力構築支援など他国を教育支援できる能力を有するまでになった。
  • ・国連からの派遣要請に積極的に応えるため、一定の即応態勢を維持しつつ、要員の育成を継続して実施してきた。
  • ・国連のニーズ及び安全確保と国内法の制限との整合化に腐心してきたのも事実である。カンボジア、東ティモール、南スーダンなど、苦悩の中での25年であったとも言える。
  • ・このような中で平和安保法制の改正があったが、これは現場の指揮官、隊員の状況をよく汲んでくれたように思う。一つ前進したと思っている。
  • ・駆け付け警護については、二重、三重の縛りがかかっている。先ず、本来は現地警察、次いでPKO治安維持部隊が行うべきことだが、現場にそれら部隊等が所在しておらず、日本隊しか対応できる組織が存在しない場合であり、また、対象が現地政府に敵対している国、あるいは国に準ずる組織ではないという制限がかかっている。
  • ・宿営地の共同防護に関しては、新たな任務というよりも、武器使用権限が認められたということである。日本隊が国連スタンダード並みに、他国隊とともに宿営地に対する攻撃に対処できるようになった。

〇 課題
  • ・積極的平和主義を更に推進しようとすれば限界がある。ブラヒミ・レポートが求める強制的なPKOへ派遣しようとすればなかなか実行できない。また、現地情勢が緊迫すると、撤収について検討、調整を実施する必要があるような現行の法令の枠組みでは国連のニーズには対応できない。PKO 5原則の適用という観点でみれば、安全の継続性が確保されなければ部隊を派遣することはできない。
  • ・国際貢献は自衛隊だけの役割ではないし、また自衛隊だけでできるものでもない。だからこそ南スーダンはODAなどオールジャパンとしての支援でスタートしたが、限界が生起した。ODAとの連携の好例としてナイル川の架橋があったが、情勢緊迫時には中止となり、JICAも撤退した。情勢が安定していないとオールジャパンも難しい。
  • ・非英語圏国からの高位ポスト及び要員派遣増加には一定の制約がある。 
  • PKO司令部幕僚への派遣が司令官ポストも含め可能となったが、我々日本人は英語圏国でないための制約がある。国連は派遣された要員の勤務評定を実施し、その評価を蓄積している。上級ポストへの配置においては、過去の勤務評定も確認し、また人選においては様々な視点から評価している。上級ポストは各国の争奪戦でもある。司令官派遣には過去のPKO参加の経験や実績、また一般幕僚派遣には英語圏出身者が優先される。

〇 今後の方向性
  • ・更なる積極的な貢献のための法令の改正
  • こういった課題を解決するためには、最後はPKO 5原則の見直しがなければ部隊派遣としての更なる積極的な貢献の実現は難しいと思う。国連の指揮下で行われる活動における武器の使用は、憲法で禁じられた国権の発動たる武力の行使には当たらない、という解釈が確立されなければPKO 5原則の見直しも難しいと思う。そのためには、冷静かつ成熟した国民的議論が重要である。我々はそのような議論ができる材料を提供しなくてはいけない。
  • ・向かうべき方向性として、今できることは以下の3点である。
  • ① 先進国型PKO
  • 幕僚(司令部要員)を多く派遣することが大事である。例えば、オーストラリアは部隊派遣はゼロであるにもかかわらず、司令部要員28名をジュバに派遣している。欧州の先進国は1個隊程度を出しながら、幕僚を多く派遣している。日本としては、今後、若い世代から指名して派遣回数を増やし、経験を積ませて行くことが重要である。司令官ポストを取るには、かなりの年数が必要と感ずる。
  • ② 技術貢献型
  • 歩兵部隊はバングラ、インド、アフリカ諸国などが積極的な派遣を実施しており、法的にも日本が参加する状況にはない。今後、国連が期待する活動として、技術貢献型のヘリ、施設、情報・通信、衛生のニーズがある。自衛隊には施設、衛生、通信、さらにUAV(固定翼)を宿営地内部から飛ばすような貢献が可能だろう。
  • ③ 教育型PKO  
  • 早期展開支援、能力構築支援を継続的に積極的に実施していくべきであろう。

〇 今後の方向性(具体策)
  • 長期的なヴィジョンについて、日本政府は具体的に示すべきだろう。 
  • 一案はPKO大綱として日本政府のヴィジョンを示すべきである。その内容として、1番目は目的、2番目は自衛隊として質的貢献の拡充策を、3番目はオールジャパンとして、さらに、文民の参加を検討すべきである。NGOにはハイチやジュバで逞しい日本人職員、特に女性職員がいた。人生におけるキャリアとして、国際協力に携わる民間人が伸びて行くためのシステムを構築すべきである。4番目の継続的検討事項は、更なる積極的貢献のためには、憲法解釈の分野まで及ぶ国民的な議論が必要である。

〇 PKO大綱の策定(骨子の一案)
  • 1. 政府としての積極的平和主義具現のための方向性を明示するための策定
  • 2. 自衛隊による質的貢献の拡充
  •  (1) 司令部幕僚の積極的派遣
  •  (2) 施設、情報部隊の派遣を重視して派遣
  •  (3) 早期展開プロジェクト、能力構築支援を積極的に実施
  • 3. オールジャパンとしての取り組み促進
  •  (1) 文民の参加促進
  •  (2) ODAとの連携促進
  • 4. 継続検討事項 
  •   憲法論議に併せたPKO 5原則の継続検討