73年目の終戦の日を迎える。現役自衛官はもちろん、日本国民の中で実戦の経験者が居なくなりつつある。戦争の悲惨さを継承し、平和への誓いを新たにすることはとても大切なことだが、日本の平和と独立を守り続けるためには、将来の危機に備えておくことが不可欠である。古来より「平和を欲するものは戦争に備えよ」と言われる通り、万全の備えが戦争を抑止し、万が一の際にも被害を局限することが可能となる。さらに言えば、我が国が直面する厳しい現状のみならず、将来の脅威や戦いとはどのようなものか、具体的に想像しなければ、それに備えることはできない。国全体として戦争の実感が失われつつある状況を踏まえると、実戦経験のない自衛官であっても、軍事のプロとして我が国が備えるべき将来の有事を国民に知らしめる責任があろう。
「将軍たちはいつもすぐ前の戦争の準備をしている(Generals are always preparing for the last war.)」という皮肉がある。まだ戦ったことの無い未来の戦争よりも直近の実例を教訓に、装備品を整え戦術を工夫し部隊を訓練するというごく自然で陥りがちな傾向を戒める箴言でもある。これにはいくつかのもっともな理由がある。元々軍隊は官僚組織であり、従来からの手法や思考が基準となること。日常の防衛力整備(予算・編制等)や教育訓練には継続性があり、斬新的なものを取り入れるには相当な根拠と理解が必要であること。そもそも将官や幕僚達は恒常業務(文書管理、情報公開、予算要求、業務計画、訓練成果報告、等々)に忙しいこと。限られた人員で目前の任務(対領空侵犯措置、ミサイル待機、警戒監視等)に万全を期す必要があること。予算・人員の制約で研究開発など将来への投資が極めて乏しいことなどが挙げられる。だが、9.11米国同時多発テロのように、革新的な技術や発想によって従来の思考の枠組みを超えた危機が起きるのが現実だ。
取り分けIT技術の爆発的な進歩は様々な挑戦を自衛隊に突き付けている。無人機(UAV)が偵察や攻撃に使われるのは常態化しており、将来は大小様々なUAVの大編隊を一人の戦闘機パイロットがコントロールすることも想定される。AI(人工知能)によって作戦状況に関する評価分析や目標割当等は全て瞬時に自動化され、作戦指揮官が為すべきことはAIの監視だけになるかもしれない。従来の指揮統制の概念や組織では、このような作戦様相に対応できないのは明らかだろう。
また、ロシアは今年5月、モスクワでの軍事パレードで時速1万キロを超える極超音速新型ミサイル「キンジャル」を一般公開した。中国も「極超音速滑空飛翔体(HSGV)」の開発実験を繰り返しており、マイク・グリフィン米国防次官(研究・技術担当)は、中国が既に数千キロ離れた地点を攻撃できる「かなり成熟した」極超音速ミサイルシステムを構築していると指摘し、「現在の防衛システムでは、これらが向かって来ても検知できない」と警告した。米国防総省も今年4月、ロッキード・マーチンと約10億ドル(約1070億円)の契約を結び、戦闘機から発射できる極超音速ミサイルを設計・開発すると発表したが、中露に比べて出遅れ感は否めない。これらは近未来に登場する「ゲームチェンジャー」と呼ばれる革新的な兵器のごく一部に過ぎず、サイバー、宇宙、電磁スペクトラム等の新たな領域で、戦いの様相を一変する手段が登場すると考えられている。
このような情報はインターネット始め、各種メディアに溢れているが、それが我が国防衛にとってどのような意味があるのか、多くの国民には理解困難だと思う。これらの将来兵器が攻撃と防御のどちらを有利にするのか等の分析は専門家に任せるとしても、少なくとも国民は、その様な新兵器に対して疑問を持つことが必要だ。陸上配備型イージスで「キンジャル」は撃墜できるのか?どのような防御手段があるのか?撃たれる前に撃つことが必要なのか?防御態勢の構築にどれくらいの時間や予算がかかるのか?これらの当然の疑問を国民(代表たるメディアや国会議員)は問うべきだし、防衛大臣や統合幕僚長は誠実に答える義務がある。実は、このような国民からのごく普通で健全な好奇心と問題意識が、将軍たちの現場や現状に囚われた思考を刺激し、備えるべき将来の戦いを想像することにつながるのである。そうなれば当然、「専守防衛」という固定観念を見直さなくてよいのかという声が聞こえてくるであろう。
「戦争は軍人だけに任せておくには余りに重い問題だ」、「あなたが戦争を忘れても戦争はあなたを忘れてはいない」と言われる。一年に一度巡り来る終戦の日には、過去の戦争に思いを致すと同時に将来の戦争を想像し、いかにしてそのような事態を抑止するのか、そのための備えを整えるのか。国民全員が向き合うべきだと思う。
(毎日新聞「政治プレミア」より転載)