先週18日、パキスタンにおいて、先の総選挙で勝利した新興政党PTIの党首イムラン・カーンを首相とする新政権が誕生した。この国でも既成政党が国民から嫌忌され、ポピュリズムの波が押し寄せた観がある。カーン氏は国際的には無名だが、パキスタンでは国民的スポーツであるクリケットのかつてのスーパースターであり、国内的な知名度は抜群である。日本でいえばプロ野球の長嶋茂雄が仮に健在で、新党を立ち上げて選挙に大勝し首相になったと思えば(両人の人柄の違いを除けば)「当たらずとも遠からず」であろうか。
いつものことながら、パキスタンの政治には救いようのない暗黒さを感じる。元大統領・首相の死刑・暗殺、繰り返される軍事クーデターと民主政治に逆行することばかりが続発する。2014年に17歳の少女(人権活動家?)、マララ・ユサフザイさんがノーベル平和賞を受賞したが、これは国民不在のパキスタン政治に対する痛烈な皮肉としか言いようがない。
戦後、インドと分裂して独立を達成して以来、パキスタンには民主政治が定着することがなかった。1973年に首相になったアリー・ブットーは4年後にジア・ウル・ハック将軍(後の大統領)のクーデターに遭って失脚、その後2年もたたずに死刑に処せられた。その娘であるベナジール・ブットー首相は2期在職した後の2007年に暗殺されている。ブットー父娘はパキスタン人民党(PPP)を率いたが、これに対抗して1990年代以降に政治の実権を握ったのがパキスタン・ムスリム連盟のナワーズ・シャリフ首相。同人は断続的に3期首相を務めたが、一度はムシャラフ将軍(後の首相・大統領)のクーデター(1999年)によって辞任を余儀なくされたことがある。
ナワーズ・シャリフ首相が3期目を務めたのが2013-17年だが、汚職疑惑が発覚してロンドンに事実上の亡命と相成った。その後、軍部主導の欠席裁判が行われ、10年の禁固判決が出されたが、同人は、総選挙の直前に帰国し即刻逮捕されている。かつて自らが率いたパキスタン・ムスリム同盟(PML-N)は有利に選挙戦を進めていたものの、軍諜報部の介入による大量切り崩しに遭ったと見られ、イムラン・カーン率いるPTIによる大勝を許す結果となった。
今回の総選挙はテロの多発によって「血塗られた選挙」になった。200人以上の有権者が犠牲となり、立候補者の中からも何人かの死者が出ている。7月13日にバロチスタン州の選挙集会場で起こったISシンパによるテロ事件では一度に149名が亡くなっている。軍部は投票所の安全確保のために37万人の軍人を動員したようだが、これは選挙民に対する威嚇の意味があったと見る専門家もいる。国際的な選挙監視団の活動も大幅に制限されたらしい。カーン新首相の背後には軍部がいると見られる所以である。2006年、パキスタン人民党とパキスタン・ムスリム同盟という二大政党の間で合意・採択された「民主主義憲章」は政治から軍部の影響を排除すべきことを謳ったが、両党とも今回の選挙で大敗したのは皮肉の極みである。
パキスタン経済の現下の状況は厳しい。失業率は高く、国家財政・経常収支も大幅赤字である。対外債務は900億ドルを超えるのに外貨準備は101億ドル(輸入額の2カ月分)しかなく、IMFの支援が不可避の状況だ。対外的にはインドとの対立は解消せず、アフガニスタンからもイスラム過激派が浸透し続けている。かつては米国がパキスタンの後ろ盾となってきたが、昨今は中国の影響力が増大している。中国の「一帯一路構想」の要の1つがパキスタンである。カーン政権の諸政策は未知数だが(軍部の存在を考えると)多くは期待出来そうもない。パキスタンが「暗黒政治」から脱却するのは難しい。